05年に熊谷市と合併した町の“逆転劇”
小林さんが店を構えているのは妻沼(めぬま)地区だ。05年に熊谷市と合併するまでは妻沼町だった。
妻沼には、かつて390ほどの商店があった。だが、「妻沼線」の愛称で親しまれた東武熊谷線(熊谷-妻沼間)が1983年に廃線になると、人の流れが変わった。同時にスーパーが進出し、商店の閉店が相次いだ。「今では70店舗ほどに減ってしまいました」と、くまがや市商工会の小川恵司さん(44)は嘆く。
小林さんの店も追い詰められた。「特に夏場はふるわず、1日に5~10人ほどの来客しかありませんでした」と話す。実は、製茶店は商店街以上に厳しい現実に直面していた。ペットボトルに押されて、急須で茶を飲む人が激減していたのだ。
そんな小林さんに転機が訪れる。2006年、市内全域でかき氷を名物にすることになったのだ。「あついぞ!熊谷」の事業が始まった翌年で、市役所の主導だった。当時は暑さを利用した地域活性化策も発案されていた。
熊谷のかき氷は特に有名だったわけではない。飲食店や菓子店などが協力して新商品を出し、暑い夏を楽しんでもらおうと考えたのである。
「製茶店のかき氷」を求めて1日200人が訪れる
雪のようにふんわりと氷を削り、それぞれの店が独自のシロップをかけるのを共通のルールにして、「雪くま」というブランド名を付けた。
素人だった小林さんも、製茶店でかき氷を出すようになり、抹茶、ほうじ茶、玄米茶をベースにして商品開発を進めた。苦労したのは、ほうじ茶だ。
「抹茶や玄米茶のように味がしっかりしていないので、当初はただの茶色い甘い氷にしかなりませんでした」と話す。癖のある茶葉ならどうか。ミルクなどに工夫を凝らせないか。試行錯誤はまだ続いているが、美味しさは市外にまで伝わり、平日は60~70人、忙しい日には200人も訪れる人気店になった。
冬期には日にちを決めて、中身をかき氷にしたモンブランなどの“ケーキ”を出す。
「妻沼の高齢者の中には、かき氷を食べるのではなく、『飲む』と言う人がいます。昔は飲む感覚だったのです。これをヒントにして、最後はごくごくと飲め、後味がさっぱりするようなかき氷も作ろうと考えています。例えば、ほうじ茶にレモンをミックスしたらどうかなんて」
かき氷の世界から茶を見ることで、いろんな発想が得られた。
気付いたのは「茶には演出が足りない」ということだ。
「袋に『銘茶』と書いただけのような今のパッケージで売れるはずがありません。どんな種類の茶の木なのか。どこの産地なのか。『口に入れた瞬間に若葉の香りが広がる』などといった味の特徴も記載して、お客さんにそれぞれ好みのお茶を探してもらうような売り方ができないか考えています。テイクアウトできる茶のスタンドも設け、かっこいい淹れ方を目の前で見せる予定です」