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本当は「第3の夫」となる男にピストルで射殺された

 その「第2の夫」も約半年後に死亡。生還した男たちの中には「殺された」と言う人もいたが、和子は同誌では「転落死だった」と反論した。しかし、島では「菊一郎が殺した」と語っていたともいわれる。その後、菊一郎も死ぬが、和子は当初「ヤシガニを食べて中毒死した」と主張していた。それを、本当は「第3の夫」となる男にピストルで射殺されたと認めた。その男もまた4人目の「夫」になる男に刺されて死んだという。

「夫」がいた時でも、ほかの男から「望まれれば誰とも密通」(中見出し)したが、そのサインは現地の大きな葉っぱだった。青い葉に硬い物で字を書くと、後で白く浮き上がってくる。「それがアナタハンでの唯一のラブレターでした」と言う。琉歌のことと併せて、本人はロマンチックなドラマのつもりだろうが、常識から考えると首をかしげざるを得ない。「道もないところを密林をくぐり山を越えて逢いに来たものを素っ気なく追い返すことはとても出来ません。私は誰とでも逢ってやりました」と胸を張っている。

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 さらに、男との交渉は「それはもうずいぶんありました」が「二人だけしか知らない秘密です」。「中には生きて帰ってきた人も幾人かあります。誰と誰かなんて、せっかく平和に日本に帰ってそれぞれ奥さんと暮らしているのに、名を上げることは私からは遠慮しますが、島の気持ちはここで考えるものとは全く別です」。こうした和子の証言に、島から帰った男たちは沈黙し、世間はさげすみつつ強い関心を示した。

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「アナタハンブーム」にも陰りが見えていた

 和子は東京でアナタハンでの体験を劇化した舞台に特別出演。「アナタハン人気」を当て込んだ映画関係者の誘いに乗り、事件を再現した映画「アナタハン島の真相はこれだ」(新大都映画、吉田とし子製作、盛野二郎監督)=1953年4月公開=に本人役で出演したが、彼女の演技、作品の内容とも酷評を浴びた。

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作 映画「アナタハン」DVDジャケット

 また、アメリカのニューヨークタイムスに記事が3行載ったことから、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督が映画化に強い関心を示してきた。「嘆きの天使」「モロッコ」など、主演のマレーネ・ディートリッヒとの名コンビでうたわれた往年の名監督。和子役に日劇ダンシング・チームの根岸明美を抜擢し、映画は1953年6月28日に公開されたが、「世界的巨匠老いたりの失敗作となった。興行も不振」(田中純一郎「日本映画発達史4」)と酷評される。すさまじかった「アナタハンブーム」にも陰りが見えていた。