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【東京がんストーリー】がん患者が取材する「がん」家族とその後 遺された夫が外した結婚指輪

2019/09/05
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ヤクザに禿頭をさらして撃退した妻

「死んだ後はショックで立ち直れないんだけどさ。でも生きているときは最悪のケースを考えてないから、いなくなっちゃうのが想像できないんだよね」(アタゴさん)

 亡くなって1年半、世界はモノクロだったと言う。

 奥さんに希少がんと言われる平滑筋肉腫が判明したのは12年前、子宮筋腫を摘出したことから。良性と思われていた腫瘍が、まさかの悪性だった。第2子がまだおむつをしている時期でもあり、大きく動揺した。

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 しかしその後2年間は転移もなく、「このまま逃げ切れるかな」と思っていた矢先、肺への転移が判明。その後は肝臓、胸椎、腎臓、左足大腿部など、約半年おきにがんが転移。最後は脳に腫瘍ができた。

「でもね、家内がフラットっていうか非常に強いやつだったからさ。俺の方がめそめそしてたくらいよ」

アタゴさん(仮名)

 抗がん剤治療中に脱毛して頭がツルツルになっていた時、マンションの立ち退きを迫られた。ヤクザまがいの強面の男たちが連日押しかけてきて対応に苦慮していたが、その日は奥さんが玄関先に立ち、スッと帽子をとって禿頭をさらした。

「このとおり、“がん”でして」

 男たちは平身低頭して非礼を詫び、その場を去っていった。夫婦で大笑いしたそうだ。

それくらいしなきゃ、“もと”が取れない

 娘も負けていない。

 大学受験の際、説明会に参加していないことを面接官に問われた時のこと。本当は面倒で行かなかっただけなのだが、こう答えた。

「母のがん治療で病院に付き添っていました」

 面接官は彼女に謝り、大学に合格したという。

 

 がんをネタにできるのは、患者とその家族だけの特権だ。自分だってこうしてがんをネタに仕事をし、原稿料をもらってる。大病だし、お金もかかるし、常に怖い思いを抱えることになる。家族だって、ずっと心に重しがあるような日々だろう。

 それくらいしなきゃ、“もと”が取れん。

 常々そう思っていたので、アタゴ一家の“がん使い”には大いに共感してしまった。