文春オンライン

2019/09/05

ほとんどカミングアウトしなかった夫婦の「支え」になった場所

 またアタゴさん夫婦は患者会をフル活用していたそうだ。

 自分もがんになってすぐ、とある病院で定期的に催されている患者会「ブーケ(仮名)」に顔を出したことがあった。

 参加者たちは副作用の軽減アイデアや最新の分子治療薬について、その場にいた医療者に尋ねていた。長机の上には各々が持ち寄ったと思われる亀田のおかきやブルボンのお菓子、会の活動内容をまとめたしおりが置いてあった。

 自分自身「ブーケ」になにを求めていたのかわからないが、その優しげでいて鬼気迫る雰囲気に気圧されてしまい、もらったソフトサラダとしおりをかばんに突っ込んでそそくさと出てきてしまったのだった。

 

 しかしアタゴさんの患者会は、ちょっと毛色が違ったようだ。

「希少がんの患者会ってこともあってか、うちの会は戦略的な感じだった。特に男性陣は新薬を承認してもらえるよう厚労省に働きかけたり、政治家に法整備をしてもらうように動いたりとか、ロビイスト活動も多かった」

 夫婦ともにほとんど周囲にはカミングアウトしていなかったこともあり、患者会は大きな支えだった。

「俺みたいに奥さんに先立たれた旦那さんだけで活動をやってる人も多いんだよ。それが生きがいになっているのかもしれないね。でも俺はまだ引きずっててなかなか復帰できないんだよね。娘にも『やればいーじゃん』って言われるんだけどさ」

「こんなに頑張ってたんだ」火葬後に出てきた金属プレート

 アタゴさんは何度も、「11年間生きれた」「サバイブしてきた」という言葉を使っていた。それだけ予後の悪い、悪性度の高いがんだったのだろう。

 毎日、製薬会社のサイトを見て新薬の情報をチェックし、全国の病院をめぐって治療を重ねてきたこと。標準治療(=科学的根拠に基づいた現段階で最良の治療)を基本にし、代替療法には目も向けない。最新かつ正しい情報を仕入れ、医者と対等に話し合う――夫婦で治療の方針を決め、2人で大病を乗り越えてきた自負を言葉の端々から感じた。

 

 奥さんの骨を拾った時、腫瘍切除した左足に入れていた金属プレートが出てきた。闘病を知らなかった友人たちはそれを見て、「こんなに頑張ってたんだね」と言ったそうだ。