1ページ目から読む
3/3ページ目

「総裁としての自由裁量の余地はさほど大きくはないのが実情」

「警視庁史 第3 昭和前編」は、贈収賄が行われた時期について「そのときには既に授与が内定した後であって、実際には天岡は別に骨折りもしなかったといわれる」とあっさり書いている。当時の叙勲の手続きは、対象となる人物について当該の道府県庁から主務大臣へ本人に関する書類が提出され、首相らが加わる賞勳会議の議を経る。慣行としてほぼ確立している事務レベルの基準がものをいうし、首相らの意見もある。「総裁としての自由裁量の余地はさほど大きくはないのが実情に近いというべきであろう」(「日本政治裁判史録 昭和・前」)。

 それでも、そうしたことを知らない外部の人間、特に叙勲を望む民間人にとって、総裁の地位は絶対的。長い期間首相を務めた桂太郎の女婿という事実も当然、有効だっただろう。

天岡前総裁の収監を報じた1929年9月12日東京朝日新聞

 前総裁らの収監を報じた1929年9月12日朝日朝刊の記事は「権門の婿となって 反(かえ)って身の破滅」の見出しで「ともかく、苦学して育った一貧書生が一躍して一世に時めく総理大臣の女婿となったのである。生活も交際も全く一変し、派手になった」「一方において『おやじおやじ』と桂公を振り回すことも忘れなかった」と書いた。「それが権限を利用する悪知恵のつけ入るゆえんである」(「日本政治裁判史録 昭和前」)。

ADVERTISEMENT

似たようなことは現代の汚職にもあるのではないか。
 

本編「勲章高く売ります」を読む

【参考文献】
 ▽我妻栄ら「日本政治裁判史録 昭和・前」 第一法規出版 1970年
 ▽警視庁史編さん委員会「警視庁史 第3 昭和前編」 1962年
 ▽栗原俊雄「勲章」 岩波新書 2011年