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連載昭和の35大事件

「勲章高く売ります」47歳で借金苦・職なしの男が“売勲事件”に手を染めるまで

人生の浮沈というものは、まことに測り知れぬものである

2019/09/01

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, メディア

実業界のお歴々が金で勲章にありついた!!  一世を聳動した売勲事件の立役者・賞勲局総裁天岡直嘉とは如何なる人物であったか。筆者は事件担当の社会部記者。

初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「勲章高く売ります」(解説を読む)

「勲章をやるから金を寄越せ」

 売勲事件、すなわち動章瀆職被疑事件の発覚端緒は、天岡直嘉氏の義弟長島弘等の手形詐欺容疑事件の取調べからだった。起訴はされなかったけれども増田次郎氏らの取調べから、天岡、鴫原亮暢らの動静が次第に判明するに至り、堤清六、横田永之助と次々召喚取調べて行くうちに、渡辺孝平、兵藤栄作、熊沢一衛らの五私鉄疑獄関係容疑者とも結びつき、果ては東京商工会議所会頭藤田謙一氏の線までが浮び上って来た。

天岡直嘉氏 ©文藝春秋

 ついに事件のピーク天岡直嘉賞勲局総裁が瀆職罪で起訴収容されるに及んで、世間では“売勲事件”と悪しざまに呼ぶようになり、“売勲”といえば金で勲章の売買をやっている犯罪内容であるような印象を与えた。勲章とは勲功を表彰して贈与される賞牌である。この事件の場合「勲章をやるから金を寄越せ」「金をやるから勲章を出せ」というような露骨な犯罪ではなく、また売勲という言葉そのものが国民の栄典を傷けること甚だしい、というのでその社会的、国家的影響を慮って、事件の呼称につき、検察当局でも頭を捻った揚句売勲という言葉を使わずに、“勲章瀆職事件”と呼ぶことに改めた。

「“流星”は“隕石”になった」桂太郎の女婿になるも……

 勲賞疑獄事件の中心人物、元賞勲局総裁天岡直嘉とは一体どんな人物であろうか。日露戦争の開戦から終結まで、4年7ヵ月の内閣を担当した桂太郎、田中義一両陸軍大将は、共に長崎閥山県有朋の直系であり、切っても切れぬ因縁にあった。桂太郎の愛婿天岡直嘉は、高等学校時代から田中の家に出入していた。

 彼は明治13年生れの東京府士族、明治39年東大法科を優等で卒業し、内務省属を振出しに、第三次桂内閣のとき内閣書記官、法政局参事官から、大正6年8月には一躍して、逓信省為替貯金局長になった。岳父桂太郎の威光七光り、如何によく出来た秀才であるとは言え、当時官界の人々には、大きな流星がとんだ、そのときの閃光に眼がくらむほどだった。

東京大学の安田講堂前 ©文藝春秋

 それが桂公の歿後には一向に光を見せず、“流星”は“隕石”になったとも噂された。震災で貯金局の原簿が焼けてしまった。1階の倉庫にあったこの原簿を運び出さないからといって、局長の責任というのも可笑しな話だが、自己宣伝の下手な彼は敢て弁解しようともしなかった。いやそれどころか、震災直後、役所の自動車で乗り廻している途中、困っている人を拾って送ってやる人情味もあった。だが自悟徹底でもない。だから技量やひがみでくる反対派に乗ずべきいい機会をあけっ放しにしているようなものであった。彼はよく遊んだ。しかし人の噂さなど一向に気にしなかったらしい。