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連載昭和の35大事件

「勲章高く売ります」47歳で借金苦・職なしの男が“売勲事件”に手を染めるまで

人生の浮沈というものは、まことに測り知れぬものである

2019/09/01

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, メディア

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破産申告からわずか4日後に「賞勲局総裁」任命の急展開

 人間の運命の岐路、人生の浮沈というものは、まことに測り知れぬものである。若槻内閣総辞職のあとをうけて、政友会総裁田中義一を首班とする内閣が4月20日に成立するや、悲運窮境のドン底にあった天岡直嘉は、破産宣告取消後、僅か4日目の同年5月27日、資源局長官になった字佐美勝夫のあとを襲って賞勲局総裁に任命されるに至ったのである。現総理鳩山一郎氏は、田中内閣組閣と同時に内閣書記官長となったが、天岡賞勲局総裁は、鳩山氏と同じ東大法科出身であり、一学年上の兄貴として、大学時代から親交の間柄であった。

鳩山一郎 ©文藝春秋

 天岡が、ひとたび賞勲局総裁に就任するや、債権者の督促は再び急となった。彼は義弟長島弘に示談の前後措置を奔走させる一方、ますます鴫原を重用し、日夜自己の身辺に近づかせて、賞勲局総裁室や自邸に出入させ、あたかも、自分の私設秘書的役割を演じさせ、あるときには債権者に折衝させた。天岡は久しく債務に苦しめられて債権者の名を聞くさえ慄然たる有様だったので、その整理を鴫原に任して遠ざかった。またあるときは、鴫原に旨を含めて知名の政治家や実業家を訪問させ、自分のために援助を乞わさせた。

「叙勲して欲しいなら天岡のために、少くとも5万円位出すべきだ」

 堤清六、増田次郎、渡辺孝平、兵藤栄作等からの金集めに弄した口実は、或る点まで鴫原の欲する儘の方法に依ったものである。こうして、その間屢々、2人は相携えて柳暗花明の巷に出入りし、遊興を共にしながら、百方金員の調達に腐心したが、金は思うようには集まらなかった。玆で2人は謀議を凝らした。天岡直嘉は鴫原亮暢と相通じ、やがて来るべき11月の御即位の大礼に際し、それ以前に叙勲、表彰の御沙汰がある。これについては賞勲局総裁として叙勲、表彰の手続に関与するのを幸い、恩典に浴した人々から、自己の職務上の労に対する報酬としての賄路収受を共謀し、或は同趣旨の単独収受を決意するに至った。

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 天岡は昭和2年8月、北海道へ行ったとき、函館市で、日魯漁業株式会社取締役堤清六と知合ったが、堤に別懇な間柄の鴫原の口添えで、3回に亘り、職務に関係のない援助金合計7000円と、さらに1000円を貰っている。

 越えて昭和3年1、2月頃、鴫原は堤を訪れて、頻りに援助を乞うたが、堤が肯んじないので、鴫原は堤氏に対して、暗に、天岡を援助すれば、その援助によって、叙勲可能の旨を仄めかし、極力援助の承諾を得ることに努力していたが、同年4月東京府知事から堤に対し、行賞の件についての履歴書の提出を求めたので、堤はその頃から、自分も恐らくは叙勲表彰の恩典に浴するにちがいないと推知して、鴫原に対し、天岡総裁の尽力を懇請するに至った。

 鴫原は天岡から正式書類提出前の内示、忠告をうけ、堤に伝えると共に、会社に行き、「叙勲して欲しいなら天岡のために、少くとも5万円位出すべきだ」と告げて賄路を要求、同年9月堤清六に報酬として1万円を贈賄すべき旨を約諾させた上、同年11月3日、同会社で、報酬金の内金(賄路)として金5000円を収受、同月10日堤清六は勲三等に叙された。