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連載昭和の35大事件

「勲章高く売ります」47歳で借金苦・職なしの男が“売勲事件”に手を染めるまで

人生の浮沈というものは、まことに測り知れぬものである

2019/09/01

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 経済, 政治, メディア

47歳でフラフラ 多額の借金を背負うことに

 彼にはとりわけ仲のいい1人の女性があった。新橋で喜利勇と呼ぶ美妓で、長唄の名手だったが、2人の恋は彼が貯金局長から総裁になってからも続いていた。大正12年の震災当時のどさくさに、喜利勇は輝子夫人公認で、天岡の本邸に引取られて暮したことさえあるという。鳴かず飛ばずの官界生活18年、清浦奎吾内閣の大正13年6月休職となった。彼が貯金魔といわれた吉川長之助に担がれて、十数万円の負債が出来たのもその当時のことである。

 大正14年1月の内閣更迭の前日、藤村逓相と衝突して依願免本官の辞令一本で馘首された。それからの4年間、別に公職につくでもなく浪々の身を、47歳でも三十位にしか受けとれぬ若さで粋な彼は、暇にまかせ、新橋あたりで得意の長唄を、三すじの糸にのせたりして、憂さを晴らしていたが、芸には自信満々の彼も、ふえる一方の借財の方はどうにも整理がつかず、困窮その極に達していた。

 天岡が多額の負債を背負うに至ったのは、同郷の田中守平および辻嘉六らに欺かれ、同人らの手形に裏書きしたのにはじまる。しかもその債務は概ね高利貸に負担したもので、利息高率で額は急増、請求は苛酷で支払に苦しんでいた。

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負債に負債を重ね、ついに破産申告「財政の急を救って欲しい」

 ちょうどそのドン底にいた昭和2年2月頃、旧知の間柄の鴫原亮暢なる人物が仙台から上京し、天岡に「木材の取引を始めたいのだが、こんどの事業には、有力会社が後援してくれるよう斡旋して欲しい」と願い出た。その言葉を信用した天岡は鴫原が前科者であることを知らず、巧みな言辞を信用し、鴫原と共に奔走した。だが鴫原の事業は中途で一頓挫を来した。当時既に天岡に1万円もの不渡手形のあることを、他から聞いて知っていた鴫原は、天岡にそれとなく聞いてみると、不渡手形どころか、すでに破産申請を受けていることがわかった。

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 鴫原は天岡の窮状に深く同情し、自分の事業が成功したならば、大いに援助しようといった。鴫原は保険会社の代理店なども営んだことがあり、保険勧誘などで、口実を設けて人を説得するに妙を得ていたが、天岡は凄く鴫原の義気に感じて親交を結んだ。ところが、天岡は、その負債のために同年4月初め、ついに破産の宣告を受け、鴫原に対し、何とかして財政の急を救って欲しい、と求めた。

 鴫原はちょうど、自分の事業が一頓挫を来した際ではあり、事業の方を断念して、一意天岡のために、財政整理に尽そうと約束し、約数ヵ月間、麻布本村町の天岡の私邸に同居して、主として破産届出以外の債務凡そ4万5000円の整理に当った。一方、天岡の破産事件は義弟長島弘等からの尽力によって、一応債権者側との間に示談が調い、同年5月23日漸く破産の宣告は取消された。