「自転車欲しいな」っていう時にハガキを書いて応募
――そもそも矢野さんのクイズとの出会いはどんなものだったんですか?
矢野 テレビ好きからですね。僕が子どもの頃はゴールデンタイムと言えばクイズ番組の時代で。『アメリカ横断ウルトラクイズ』とか……。とにかく毎日見ていた記憶があります。あとは中学生の時、ラジオのクイズコーナーにお小遣い欲しさに参加し始めたこともきっかけかも。ハガキを出して電話で正解すると最大で4万5000円もらえることもあったんですよ。
――すごい! 中学生で4万円もらえたら。
矢野 ラジオに予算があった時代ですよね。でも中学1年の時に初めて選ばれたときは答えられなかったんです。その悔しさが忘れられなくて、賞金欲しさに勉強してハガキを送って、を繰り返していました。
うちは母子家庭で、金銭的に苦労していた面があったんです。なので、目が悪くなってきて「眼鏡欲しいな」って時とか、「自転車欲しいな」っていう時にハガキを書いて応募していました。
「期末試験、3人合わせて赤点12個」64万円獲得した高校時代
――すごいですね。クイズでお小遣い稼ぎをしていたんですか?
矢野 はい(笑)。どこか「稼ぎたい」という思考がベースにあったんですよね。クイズに答えてクイズ王として強くなることよりも、クイズを作成してお金になるならそっちに興味が出る。大学受験の費用もクイズで勝ったお金で払ってます。
――え? 大学受けるのって結構お金かかりますよね?
矢野 高校3年生の時にTBSラジオの、とあるクイズ番組に出たんです。1チーム3人で参加するんですけど、みんな電話でつながっていて。1問1000円の問題を1人5問ずつ答えて、3人で全15問最大1万5000円の基本賞金があるんです。さらにそこから難問に挑戦していくと金額が倍になっていく。で、間違えたら持ち金が半額になって、その賞金が手に入るという番組だったんです。
――それがいくらになっちゃうんですか?
矢野 結局は3人で答え続けて、64万まで行きました。
――ちょっとすごい金額ですね。
矢野 平均は大体2万から4万円くらいだったんで、向こうも相当困っていたと思います。しかも僕らは「期末試験、3人合わせて赤点12個」というキャッチフレーズで応募していたので、さらに計算外だったんじゃないかな。
――スタッフさんの困惑ぶりが想像できます。
矢野 番組はその次の週で終わってしまいましたね。
――それは……。
矢野 (苦笑)
答えるのと同じくらい好きだった、「問題を作ること」
――そんな矢野さんがクイズプレーヤーではなく、放送作家になられた経緯はどういうものだったんですか?
矢野 大学生の時にやっていたクイズ番組の問題を作るアルバイトがきっかけなんです。『高校生クイズ』だったり、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』のクイズコーナー問題を定期的に作っていて。
そうした流れの中で、今の事務所に「大学卒業したらうちに来ないか?」と声をかけていただきました。
――学生時代からテレビのクイズ問題を作られていたんですね。
矢野 答えるのと同じくらい作るのも好きでした。アルバイトでは、問題と答えだけ書けばいいところを解説もしっかり書いて、裏面には、資料の新聞記事のコピーとかそういうものまでちゃんと貼って。そもそもクイズの問題文も、作家さんがテコ入れしなくて済むぐらいの完成度を心がけていました。1週間にこれを30枚提出して5000円。実際に採用されるとさらに1000円もらえるんですけど、○×クイズは採用されると少し高くて3000円。ひたすら作っては提出していました。