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『高校生クイズ』構成作家・矢野了平が語る「優勝できなかった僕が、『99人の壁』の問題を作るまで」

『高校生クイズ』構成作家・矢野了平が語る「優勝できなかった僕が、『99人の壁』の問題を作るまで」

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“『高校生クイズ』を経験している構成作家”として

――構成作家としてクイズ番組に携わるようになって、プレーヤーとしての経験が生かされたことはありますか?

矢野 大いにあります。それこそ『高校生クイズ』はプレーヤーとして、第13回大会から3年連続で出場して優勝はできず……。でもそれが今では構成作家として携わらせてもらっています。僕のようにプレーヤーとして『高校生クイズ』を経験している構成作家って全然いなくて。クイズ強豪校を相手に問題を作成する上で「開成、灘、ラ・サールならこのレベルは答えてくる」だとか「ここの時点でもう解答してくる」を感覚として持っていたのは大きかったです。

 

――『高校生クイズ』と言えば、第28回大会から知力重視な路線に変更され、“知の甲子園”として生まれ変わった時期が印象的です。ただ当時は「難問過ぎて視聴者がついていけない」などの批判もありました。

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矢野 それまでは3人1組のチームをそれぞれ「知力」「体力」「運」の各担当に振り分けて競わせる形式や、冠婚葬祭マナーなどの常識を問う形式など知力以外の要素も取り入れた大会でした。

 しかしそれが第28回大会以降、「宇宙の年齢を計算しなさい」など、難問クイズへと移行する“知の甲子園”へと変わっていったんです。当時、スタッフの中でも意見は割れました。「そんなの『高校生クイズ』じゃない。頭がいいやつが勝つのは当たり前じゃないか」と。

――視聴者とスタッフの反対意見もある中で、当時の矢野さんは“知力重視”への変革についてどう考えていらっしゃいましたか?

矢野 僕自身も『高校生クイズ』にプレーヤーとして参加しているときに「クイズが好きで出場しているんだから、実力で勝ちたい」って願っていたことを思い出しました。そう感じていたプレーヤーとしての経験があったからこそ『高校生クイズ』の革新のお手伝いが出来たんだなと思っています。当時は反対意見もありましたが、結果的に好印象の反響の方が大きく、現在の「東大王」人気も源流は“知の甲子園”ですから大成功だったと感じています。高校生クイズは今年で39回目を迎えて“知の甲子園”から「地頭力」を競う内容に進化していますが、時代によって大改革をしていく番組だというスタンスは“知の甲子園”の成功あってこそかと。

 

『笑っていいとも!』はクイズ企画の宝庫だった

――他にも構成を担当されているクイズ番組『今夜はナゾトレ』では「年齢不詳さん」など、クイズの中に遊び心を感じることも多いです。

矢野 登場いただいた一般人の方の年齢を当てるという「年齢不詳さん」は『笑っていいとも!』のテイストを感じさせる、誰しもが持っている好奇心をくすぐる企画ですよね。

――『笑っていいとも!』にクイズコーナーがありましたね。

矢野 実は『笑っていいとも!』ってすごいクイズ企画の宝庫で、そこからヒントをいただいてるものも多いんです。しかも生放送でもできる優秀な企画ばかり。ただ「年齢不詳さん」を見つけてくるディレクターさんはいつも大変そうでした(笑)。