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 消費者目線のスタッフが書く説明文は分かりやすく、商品の魅力が伝わりやすかった。メディアで商品を見せていき、消費意欲を刺激する。そこから直接商品が買える。メディアを立ち上げ、それを物販に結びつけたことで、『ZOZOTOWN』はビジネスとして成功した。

「ZOZOマジック」で無名のブランドが注目される

『ZOZOTOWN』がメディアとして影響力を持つようになると、無名のブランドが『ZOZOTOWN』で扱われることで、注目されるというケースがしばしば起きてくる。これをネット上のファッションマニアたちは「ZOZOマジック」と評したこともある。

 こうなってくると、取引先も増えていく。先にコメントを紹介したユナイテッドアローズも、ECの出店先として、『ZOZOTOWN』を選ぶ。また、海外のハイブランドも『ZOZOTOWN』に出店していく。このようにして、2000年代前半に、なんの既得権もない前澤氏たちが始めた「洋服をネットで売る」ビジネスは、今や、日本で最大級のファッション小売り企業となったわけである。

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©iStock.com

「週刊現代」が2017年9月6日に配信した記事の中では、前澤氏をよく知る関係者が2001年に音楽活動を休止し、経営に専念しだした頃の前澤氏の様子をこう語る。

「独学でシステムを勉強。自分でサイトを設計し、カタログ通販からネット通販に移行していった」

前澤氏の才覚を活かせる場所ではなくなっていた

 その頃もすでに経営は軌道に乗っていて、外部にサイトの構築を丸投げする資金はあったはずだ。しかし、それをせず、自分でまず勉強する。これが前澤のやり方だ。従来の企業経営者は、管理や決定だけをして、細かい実作業は外部の専門家や下請け業者に任せていた。結果、どこの企業も同じことをするようになってしまう。一方、前澤氏は自分の手や足、そして、頭を使ってリサーチや開発をし、結果を出し、会社を成長させた。

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 しかし、その一方で、ZOZOが大企業になった後も、有料会員制のシステムが短期間で廃止になることが複数回あったり、ZOZOSUITの撤退など、顧客を混乱させることも目立った。小さな会社のドタバタには、顧客も「仕方ないなあ」と許してくれるが、日本を代表するEC企業ともなるとそうはいかない。すでにZOZOは前澤友作氏の才覚を活かすことができる場所ではなくなっていたのだろう。それが今回の社長退任劇につながったのかもしれない。