僕が過去に付き合っていた男に(その男も完全にゲイなのだが)、そのような侮辱を受けないよう、マン・ボックスの中に納まろうと必死だった人がいた。彼は、ゲイでありながら従来の「男らしさ」というものに縛られ、他人の目を気にして、最終的にはゲイとして生まれた自分を嫌悪し、そして自分をゲイに産んだ親を逆恨みし、しまいには心を病んでしまった。
同じゲイでも、マン・ボックスにしがみつかない僕みたいなのもいれば、すごく気にする人もいるのだ。
興味深いのは、パスコーの研究によれば、女子生徒が日常的に「レズビアン」と呼ばれることはないということ。その代わりに女子生徒に頻繁にぶつけられる侮蔑表現は「ヤリマン」だったそう。つまり、男子生徒が男として認められるには異性とのセックスに積極的でなければならず、女子生徒が女として認められるには貞淑でなければならないという矛盾した要求があるようだ。
従来の「男らしさ」の基準を満たした先にあるものは
前述のように、従来の基準ではちっとも「男らしく」なく、女性にも性的に惹かれなかった僕は、大人には自分らしさを否定され、同級生からは殴る蹴るの激しいいじめを受けて苦しんだ。しかし、従来の「男らしさ」の基準は、僕のようにそこに馴染めなかった男性だけではなく「男らしさ」に馴染もうとする男性にも弊害があるとこの本では語られている。
2017年、アメリカの元公衆衛生局長官ヴィヴェク・マーシーは、国民の健康に対する最大の危険要素は、心臓病でも糖尿病でも癌でもなく、孤独であると発表した。
(中略)
男性のほうが、孤独の病に侵されやすく、付随する抑うつ感や絶望感に苦しむことが多い。男性は年をとるにつれて、同性の友人とのつながりが途絶える傾向にあり、社会的な絆も少なくなってしまう。社会的な絆は、幸福感を増強し、トラウマへの対処を助け、長寿に貢献すると明らかにされており、孤独の病にたいして予防的な効果をもつ。
(中略)
男らしさの掟のために、男性は弱さを見せたり助けを求めたりすることに消極的で、苦しんでいるときにもほかの男性の力を借りたり、新しい知り合いにアプローチして友達関係を深めようとすることが少ない。
(『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』p.126~127より)
周囲に「男らしくあれ」と矯正され、自分も「男らしく」あろうと努力してみたこともあったけれども、従来の「男らしさ」の基準を満たした先にあるものは孤独の病だという調査結果はなんとも言い難いほどむなしい。