生き方や個人のキャラクターを強要しないでほしい
この本の内容は海外の方が書いたものだから、全てが日本で起こることに当てはまるかと言われればそうではないかもしれない。
ただ、この日本にも「男らしさ」や「女らしさ」といった概念が根強く存在するのは確かだ。
どちらにしても、僕が共通して思うことは、生き方や個人のキャラクターを強要しないでほしいということだ。例えば「男は男らしく生きなくてはならない」と、無意識ではなく、自らその生き方を選択する男がいれば、その男はそう生きればいい話だ。それを他人に押し付ける行為は害でしかない。もっとたちが悪いのは「男らしさ」や「女らしさ」を、社会が強要してくることだ。それがセクシュアリティに関係なく、生きづらさに繋がるのだと思う。
そして、「男は弱さを見せてはいけない」「男は助けを求めてはいけない」といった従来の「男らしさ」が、男性を孤独へと向かわせ、追い詰めているという指摘も見逃せない。より健全な、アップデートされた「男らしさ」が模索されるべきだとも思う。それかいっそのこと「男らしさ」「女らしさ」なんてなくしてしまって、個人個人の「人間らしさ」でいいのではないかとも思ってしまう。
誰もが、当たり前に、自分らしく生きられる世の中にするには
僕の場合「男らしくしなさい」と言われるのは学生の時に先生に言われた、過去の出来事ではなく、この社会で生きている限り、言われ続けてしまう世の中だ。
僕が過去に働いていた会社でも、営業職だったこともあるのかもしれないが「男らしくしなさい」とカバンの持ち方、歩き方などの指導を受けた。まるで、生きづらかった学生時代に逆戻りしたように感じ、僕は会社を辞め、自らに社会不適合者のレッテルを貼り、しばらくは生きる意義を見出すことができなかった。
この本を読んで、なぜ僕は「オカマ」だといわれていじめられたのか、そしてイジメる方の原動力はなんだったのか、「男の子らしくしなさい」と言った大人たちの言葉の裏にどんな社会的背景があったのかが垣間見れた気がする。そして、自分らしさとは何かを改めて考えるきっかけにもなった。
誰もが、当たり前に、自分らしく生きられる世の中にするには、僕たち一人一人が、自分らしさとは何かを考え、それを他人に強要することはせず、輝いていくことが重要なんだと思う。