チャールズ・マンソンの名は、今もアメリカ犯罪史上に悪魔的存在として君臨している。女優シャロン・テートが惨殺された事件から今年で50年。関連映画が劇場を賑わす中、当事者による回顧録が出版された。
「渦中にいるとき、これは歴史だと気づくのは難しい」と著者のダイアン・レイクは書く。歴史とは、世にも恐ろしい殺人カルト集団のことではない。1960年代を席巻したヒッピームーブメントそのものだ。
ミネソタ州の保守的な白人中流家庭に生まれ育った少女が、どのようにしてヒッピームーブメントの渦中に放り込まれたのか。本書はまずそのプロセスを丹念に描き出す。アート志向の強い父親がビートニクに触発され、住宅ローンの重荷から逃れたい一心で家を手放した日から、家族は流浪の民と化した。
当時はそこらじゅうに同志がいて、自由を求める理想主義者たちはカリフォルニアを目指した。そして1967年、たどり着いたロサンゼルス周辺に、ドラッグの波が押し寄せる。愛と平和という高邁な思想があったにせよ、父親が娘にマリファナとLSDを勧める描写は衝撃的だ。ほどなく父親はドロップアウトを宣言し、一家はコミューン暮らしとなる。当時14歳の著者はそこから弾き出される形で、マンソン率いる“ファミリー”に自分の居場所を求めるのだった。
メディアがチャールズ・マンソンに与えた邪悪なイメージとは裏腹に、少女の前に現れたのは、楽しくてウィットに富んだ「天性のペテン師にして泥棒」だ。反体制、反物質主義、フリーセックスを唱える、この時代どこにでもいた導師(グル)にして「カリスマ的な小男」。人の心を操る術に長け、支配するのがすこぶるうまい。マインドコントロールされた若者たちによって、見当違いの住人をメッタ刺しにした事件は起こった。
ヒッピームーブメントの栄枯盛衰を、マンソンによる洗脳の実態を、これほど追体験できる本もない。しかしそこから見えてくるのは、普遍的な家族の物語だ。それも家父長的な家族像の弊害。著者が育ったのは、保守的で抑圧的な家庭だった。父は王様であり、専業主婦の母はひたすら夫の顔色をうかがい、「ほとんど崇拝に近い態度」で接した。
皮肉なことにマンソン・ファミリーは、彼女の家庭に酷似していた。集団の雰囲気は、主の機嫌ひとつで変わる。少女たちが見つけた友愛的な居場所は、家族に見放された少女をターゲットに、家庭的な支配構造を応用した集団だった。当初は無害な存在だったが、主が間違った方向に舵を切った途端、非道な行為へ突き進んでいった。
これは半世紀前の悲劇ではない。「十代の少女ひとりにその責任を負わせようとしている」のは、現代日本にも通じる社会の態度だ。家族から孤立し居場所を探してもがく少女たちは、後をたたないのだから。
DIANNE LAKE/1967年、14歳のときにチャールズ・マンソン率いる“ファミリー”の一員になる。特別支援教育の教師を務めたのち定年退職。3人の子供がいる。
DEBORAH HERMAN/作家、法律家、ジャーナリスト。
やまうちまりこ/1980年、富山県生まれ。作家。著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『あたしたちよくやってる』などがある。