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大衆そばならではの「下町の方程式」とは?
さて、このうまい「染まり系」のつゆとカラッと揚げられた天ぷらに合うのは、生麺よりは茹麺なのである。
茹で上げた麺につゆを注ぐと、麺がつゆを吸い、食べて行く間に徐々に色が濃く染まっていく。だから「染まり系」。生麺ではこうしたことはまず起こらない。
濃い目の「染まり系」のつゆ、カラッと揚がった硬めの天ぷら、つゆを吸う茹麺というトリオは、城東地区あたりの大衆そば屋でよくみかける。浅草橋や上野、秋葉原界隈の下町で、戦後、茹麺を提供する製麺所が増え、売り上げが増加し、茹麺をうまく食べるための工夫の一つとして考案された「下町の方程式」だと考えている。
出汁の利いた上品なつゆ、注文後に揚げる薄い衣の天ぷら、洗練された生麺という、老舗系の高級蕎麦店とはかなり異なるコンセプトで、下町で独自に発展して行ったのだろう。
「川一」近くの浅草橋の「野むら」、東神田の「そば千」、岩本町の「スタンドそば」、神田須田町の「六文そば」などもみなこの「下町の方程式」が当てはまる。
茹麺文化が消えていく?
この茹麺を提供する製麺所が廃業するケースが最近増えていると武さんは言う。
以前、仕入れていた「麺のやまたけ」も廃業し、別の製麺所をいくつか経由して、いまは北区豊島にある「玉川食品株式会社」から仕入れているそうだ。
大手の「紀州屋製麺」は茹麺の提供を中止している。「名代富士そば」でもそばを茹麺から生麺に変更したり、押出し式製麺機を導入する店も登場している。「むらめん」の生麺を使った立ち食いそば店も以前よりだいぶ増えている。
茹麺はまさに昭和の大衆麺の代表格、ノスタルジー系の一品になろうとしているようだ。