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高校時代は「スコアボードの中に入っていた人」

 その高校の頃の印象と言えば、「スコアボードの中に入っていた人」。花園の大会期間中、ラグビー場第2グラウンドのスコアボードの得点係をやっていたんです。第1グラウンドは電光掲示板なんですけど、第2グラウンドは手動式なので人がスコアを更新しないといけない。地元の高校生は花園のときにお手伝いをするんですけど、堀江も裏方の1人としてスコア係をしていたんです。

 ただしチームが強くないため、全国的には目立たない存在でしたが、個人能力は光るものがあった。高校3年の冬にはU-19日本代表にも選ばれましたが、その前から目をつけていたのが帝京大ラグビー部を大学ナンバーワンのチームに築き上げた岩出雅之監督でした。無名校の才能を探すことにかけてはピカイチなんですが、堀江もそうやって発掘された1人ですね。

帝京大では4年次に主将を務めた。大学選手権でベスト4に進むものの早稲田大に敗れた ©AFLO

 堀江の人格を語るうえで忘れられないエピソードがあります。

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 2015年のW杯前から、日本はスーパーラグビー(※)に初参戦することが決まっていました。世界最高峰リーグに参加できることは日本にとっても大きなチャンスです。

<※NZやオーストラリア、南アフリカといったW杯の優勝経験国が参加する世界最高峰のラグビーリーグ>

 しかし、いざスーパーラグビーに向けてメンバーを登録する、となったときに、報酬など、選手たちの条件面が全然固まっていないことが分かった。そこに不安を感じた選手たちが「これでは契約ができない」と参加に難色を示したんです。その選手たちの意見はもっともなものでした。