解説:“どん底の犯罪” 被害者も加害者も時代を色濃く映し出す
バラバラ事件はいまも起きている。記憶に新しい例では、自殺願望のある女性らを自宅に引き込んで殺害し、遺体を切断したとされる「座間9遺体事件」。そもそも、なぜ遺体をバラバラにするのだろうか。犯罪心理学的にはさまざまな分析がある。最も有力なのは、被害者の身元判明を遅らせて犯行を隠ぺいしようとする犯罪心理だ。私見では、人間の原形をなくすことで、死亡した(殺害した)現実感を希薄にする意思が働いているような気もする。
今回の事件は、発生後は世間を沸かせた怪事件だったものの、解決してみれば、被害者、加害者とも、不景気のどん底だった昭和初期の東京で底辺を生きていた人間同士。こんな事件にさえならなければ、誰からも注目されない市井の人々であり、“どん底の犯罪”といえる事件だった。その点であるいは、格差が広がる現代に通じる要素があるのかもしれない。
戦後生まれにとっては「遊郭」「赤線」といわれても、具体的にどんな所か、想像するのは難しい。いずれも、合法的に女性が金で体を売る、性と金があからさまな形で交錯する世界。東京・吉原のような公認された所以外にもそういう場所はあった。今回の事件の舞台となった「玉ノ井」も「銘酒屋街」と呼ばれた非公認の売春地帯。加太こうじ「昭和犯罪史」によれば、酒を飲ませる店として営業許可をとっていたので銘酒屋と呼ばれ、日本全国の都市にあった。中でも玉ノ井は約500軒。1軒が2人ずつ酌婦を置いていいことになっていたので、女性の数は約1000人になる計算だが、実際はほかにも「女中」などの名義で置いており、実数はそれを上回っていたという。
事件から4年後の1936年(出版は1937年)、作家・永井荷風が小説「濹東綺譚」で、一人の娼婦との交情を古い東京の情緒とともに描き出した。「その家は大正道路からとある路地に入り、汚れた幟が立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝(どぶ)に沿うて……」。事件は「お歯黒ドブ」と呼ばれたその下水の溝で起こった。