例えば16年、埼玉県のマンションで当時3歳の女児の首に鎖を巻き付けたり、栄養不良のまま風呂で冷水を浴びせかけたりして放置し敗血症で死亡させた母親に対し、さいたま地裁は翌年、求刑通り懲役13年の判決を下した。内縁の夫にも12年6月の判決が下った。
神奈川県で14年、死後7年経った男児(死亡当時5歳)の白骨化遺体が見つかった事件では、一審の横浜地裁はわずかな水や食事を与えるのみで衰弱死させた行為に殺人罪を適用して懲役19年と判じたが、二審の東京高裁は一審を取り消し、保護責任者遺棄致死罪で懲役12年になった。
こうした事例に鑑みれば、確かに雄大被告の量刑は過去の「最も重い部類」とほぼ等しい。
「感情としては量刑傾向を少し動かしたくなった」
だが、そうした事実を知らされた裁判員にも葛藤があったようだ。毎日新聞(16日付)を引用する。
〈裁判員を務めた女性は「どうしても結愛ちゃんに寄ってしまい、量刑傾向で基準が分かった」と振り返り、裁判員を務めた別の女性も「感情としては量刑傾向を少し動かしたくなった」と打ち明けた〉
結愛ちゃん事件の後も今年1月には千葉で10歳女児の虐待死が明らかになり、さらに6月には札幌で2歳女児、8月には鹿児島で4歳女児がそれぞれ犠牲となった。児童虐待の相談件数はこの10年で3倍に増えた。
虐待死をどうしたら止められるのか、世間の意識の高まりを反映した裁判員と、過去の判例を重んじる裁判官の間には、量刑に対する感覚にギャップが生じていた可能性もある。
優里被告への「8年」は本当に正当な判決なのか?
前例との関係だけではない。優里被告とのバランスも引っかかったはずだ。雄大被告に対する13年がほんとうに上限なら、その支配下で苦しんでいた優里被告に8年もの刑は不当に重い判断をしたことになるのではないか。
優里被告は控訴こそしたが、「文藝春秋」11月号の拙稿で示した通り、いまだ「100%自分の責任」と繰り返し、重い刑に服する意思を示している。
今後、控訴審が開かれることになれば、DVによる支配がどれだけ強固なものであったのか、あらためて審理されるはずだ。雄大被告の洗脳からようやく解かれつつある優里被告がさらに記憶を取り戻せば、DVの影響下にあるとはどういうことなのか、慎重な判断が迫られることになる。