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「日本代表は、私のライフのハイライト……誇りになった」
2006年から大阪に本拠を置く近鉄ライナーズでプレーを続ける彼は、関西弁に英単語を交え、続けた。
「大阪がめっちゃ好き。好きな町に暮らし、その国を代表してプレーする。そこがラグビーのいいところですね。日本代表は、私のライフのハイライト……誇りになったんですね」
移籍後、代表資格の3年間居住をクリアしたトンプソンは日本代表合宿に招集される。
しかし迷いがあった。一度、桜のジャージに袖を通せば、オールブラックスへの道が閉ざされてしまうからだ。「面白いチャレンジじゃないか」。背中を押したのが、父の言葉だった。
2007年と2011年のW杯はともに1分け3敗。その間に、トンプソンは1つの決断をする。2度目のW杯前に日本国籍を取得し、帰化したのである。
「日本代表としてプレーするからには、日本人として戦いたいと思った。日本の生活が長くなった。私の子供たちはみんな日本で生まれました。日本は、私1人だけじゃなくて、私の家族全員のライフにもなったんですね」
そして自身3度目となる前回W杯。予選プール4戦すべてにフル出場を果たし、躍進の原動力となった。
大会後、代表からの引退を表明し、昨年には現役引退のウワサも流れた。