守ることに専心していった大人たち
これまで佐々木の野球人生に携わってきた指導者たちは、才能を伸ばすことよりも、球界の宝となるべき才能を守ることに専心してきた。それゆえ、時に令和の怪物は“投げない怪物”となった。
しかし、プロ野球選手となる今後は、守ってもらうばかりでなく、自身の才能に見合った身体を、作り上げていかなければならない。そうした意味で、10月17日のプロ野球ドラフト会議は、佐々木にとって野球人として自立する門出の日といえた。
前日までに指名を公言していた北海道日本ハム、千葉ロッテ、埼玉西武に加え東北楽天が入札に参加し、当たりくじを引き当てたのは千葉ロッテを率いて来季が3年目となる井口資仁監督だった。
「千葉を盛り上げていきましょう」
運命のクジの行方を見守っていた佐々木は、ジッと唇を噛みしめ、テレビ越しとなる井口監督の言葉に耳を傾けていた。
私は十年来、運命を待つその年のドラフト最注目選手の会見場に足を運んできた。だが、大船渡で行われた佐々木のドラフト会見は、これまで取材してきた中で最も見どころのない会見といえた。
交渉権獲得が決定し、記者会見が始まると司会者を務めた学校関係者が地元のテレビ局と地元紙の記者にしか質問させなかった。地元メディアの質問は、「重複する質問で申し訳ございませんが」と幾度も断りを入れ、「ご家族に何を伝えたいのですか」「被災地の方々にメッセージを」と繰り返す。その度に佐々木は、「感謝の気持ちでいっぱいです」「少しでも元気になってくれれば」と話すのである。8年前の東日本大震災の津波で亡くなった父・功太さんへの言葉を期待したのかもしれないが、貴重な時間が浪費された感は否めなかった。
会場の空気を読まずに直球の質問をする筆者のような質問者を避けるために、わざわざ学校が地元のメディアにしか発言の機会を与えなかったのではないかと勘ぐりたくなるほどだった。
佐々木自身にも夢を叶えた喜びや、これからプロ野球を目指す少年達に、勇気と希望を与えるような発言を期待したが、紋切り型の発言に終始した。
「どこの球団になるのかなと、緊張していました。ホッとしています。これがスタートラインだと思う。(対戦したいパ・リーグの打者は)全員です」