たった一人自分から受賞を知らせた84歳の恩師
――どこでその存在を知ったのですか。
村田 あまりに小説が書けないので、書店で小説を書くための本が並んでいるコーナーに行ったんです。もともとはそういうコーナーに行くと傷ついてしまうことが多いので避けていました。というのも「小説を書いて丸儲け」みたいなタイトルが並んでいて、自分が大事にしているところを踏みにじられたようで絶望的な気持ちになることが多くて、でもあまりに書けないので何か救いがあるんじゃないかと思ってちょっとウロウロしていたら、宮原先生の『書く人はここで躓く!』という本があったんです。それはタイトルに全然いやらしさがないし、「書く人」というところに、自分を書き手として扱ってくれている感じがありました。こうすれば文学賞に合格する、というようなタイトルの本は見ると眩暈がして吐いてしまうほど辛かったんですが、宮原先生の本は純粋に小説を書くこと、ただそれだけの本という感じがしたんですよね。それで手に取って、読んで中味も素晴らしいと思って、これを書いた人にお会いしたいと思ったら、「横浜文学学校講師」と書かれてあったので、ネットで検索しました。それで授業を見に行って先生にお会いしたら、本当に一目でこの人は本当に尊敬できる人だなと思いました。一目惚れではないですけれど、なんか分かったんですよね、大事なものを踏みにじる人ではないって。その日の授業も私が想像していたような、「新人賞に応募するにはこうしたほうがいいよ」みたいな話は誰も口にしていなくて、のんびりしていました。当時は定年になって小説を書き始めましたみたいな年配の方が多くて、本当に先生のことが好きで、先生に見せるために純粋に小説を書いています、という人が多かったんです。それがすごく楽だと感じたし、その時に配られてた参加者の方が書いた小説がすごくよくて、ここに通いたいなと思いました。
――どんなふうに教わったんですか。
村田 先生がおっしゃることってすごく純粋で、高飛車じゃないんです。「読書は、音楽に譬えれば、演奏だ」という小沢信夫さんの言葉を引用して、作家が書いているのは楽譜で、読者は演奏家だ、って。こういうふうに演奏してくださいというのを、隅々まで決めるんじゃなくていい、それより描写を深めることでいろんなふうに演奏してもらえるから、という。それから、読者を下に見てはいけない、ともおっしゃっていました。読者を常に想定して書いたほうがいいけれど、読者は上にいるものだから、上に向かってそこに届くように書かないと、小説が下品になるって。
たぶん、私はそれまで小説というものを、ある意味すごく高尚で、素晴らしくて高飛車なものだと思っていたんです。そうではなくて、もっと思いをこめて、本当に必死で書いて読者にお届けすれば、読者はそれを演奏してくださるんだという気持ちで書いていいんだと。だからヘタでも書いてみようと思えたのかもしれないです。
――宮原先生に芥川賞を受賞されたことはご連絡されたんですか。今おいくつなんでしょう。
村田 今84歳だとおっしゃっていました。唯一、こちらからお知らせしたのが宮原先生でした。家族とかもだいたい向こうから先にメールがきたんですが、先生にだけは自分から伝えました。三島賞の時もそうでしたが、翌日くらいに「先生こんにちは。実は昨日芥川賞をいただきました」「先生と出会えたおかげです。ありがとうございます」というような、わりと簡素なメールを送りました。そうしたら「今ちょうど葉書を書いていました」「おめでとうございます」というお返事がきて。「しばらく神輿になってかつがれてください」って(笑)。授賞式にもお誘いしたんですが、ご高齢なので東京まではちょっと辛いので、って。参加する喜びではなく、遠くから見ているお祝いの仕方もありますので、というようなお返事がきました。
――素敵ですね。
村田 本当に素敵なんです。「素敵な方でしょう」っていろんな人に見せたくなるという、よく分からない私の欲望があります(笑)。