「文体」というすごく美しいものを持ちたいと思った
――将来は作家になりたいと思っていましたか。
村田 何かきっかけがあったわけではなく、だんだんそう思うようになっていました。最初は自分の小説を活字にしたかったんですね。それがだんだん活字にするだけじゃなくて本にして人に読んでもらいたくなりました。でも、小説家って、小説を書いていれば自然になれるものだと思っていたんです。途中でそれは気のせいだと気づきましたが(笑)。ワープロを買ってもらったばかりの小さい頃は本当に、ワープロと小説の神様が繋がっていて、小説の神様が本にしてくれると思っていたんです。だから小学校の頃から本屋さんで自分の本が出ていないか探していました。村上春樹さんや村上龍さんの本が並んでいる「む」の段を探して、まだ村田沙耶香っていう人の本はないな、神様もなかなか厳しいなって思っていて。さすがにそういう仕組みではないと気づいたのは、少女小説のあとがきか何かに先生への質問コーナーがあって「小説家になりたいんですけれどどうすればいいですか」という質問に「ナントカ社さんのナントカ賞があるので、応募してください」って回答されていて。先生のところにもいっぱい応募原稿が送られてくるけれど、それはナントカ賞にまわしているよ、というふうに結構ちゃんと答えてくれていたんです。そこで応募するものだということを知ったんだと思います。
――なんとも可愛らしい。少女小説だけでなく星新一さんの文体を真似したりした時期もありましたよね、たしか。
村田 そういうこともやっていました。兄の本棚を漁っていたので、星新一さんや新井素子さん、眉村卓さんとかを読んでいて、そこから星新一さんや新井素子さん、それと氷室冴子さんの文体を真似して書いていました。星さんっぽく「エヌ氏が……」などと書いてみたりして。たしか新井素子さんのエッセイで、「文体」という言葉を知り、私も自分の文体というものを持ちたいと思いました。作家が持っているすごく美しいものとして憧れを持ちました。
高校に入ってから、山田詠美さんの本との出合いがあって。『蝶々の纏足』(新潮文庫)がいちばん最初の出合いだったと思うんですが、今まで自分が読んできた文章とは全然違う手触りのように私には感じられたんです。なんかもう、言葉が熱を持っているように感じたんですね。それで山田詠美さんの本を読んでいくうちに、自分の書きたいものが純文学になっていったんです。ストーリーよりも言葉の美しさのほうを突き詰めたりするのが文学なんだろうって、なんとなく思ったんだと思います。でもその憧れが強くなりすぎて、全然書けなくなってしまったんです。
――スランプ時代がやってくるという。
村田 はい、スランプ時代です。それで、大学は心理学に進もうとしていたんですけれど、急にやっぱり小説を書きたいから芸術っぽいところに行こうと思い立ち、玉川大学の文学部芸術学科に進みました。演劇や絵やいろんな実技を学ぶなかで学芸員の資格も取れるという学部で、私はそこで小説や詩の授業を積極的にとっていました。でもスランプでした。
その頃、横浜文学学校というのを知ったんです。昔学校だったものが、学校がなくなってからも勉強会として続いているという自主講座のようなものでした。区民センターの一室のようなところを借りてみんなで勉強会をするような、ほのぼのとした集まりだったんです。そこに通うようになりました。