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お話を終わらせるのが難しい時代になってきた

――ほどなく『ユージニア』(05年刊/のち角川文庫)で日本推理作家協会賞を受賞されますよね。この作品はある大量毒殺事件のことがさまざまな視点から語られていきますが、ラストも読者に想像の余地が残されますよね。

恩田 あのあたりからどんどん書く話がオープンエンドになっていきました。それまではかっちり終わるのが正しいエンタメだと思っていたんですけれど、グレーゾーンが残されるほうがリアルだし、オープンエンドでもいいじゃないかと思って。連続ドラマなんかを見ていても、どんどんお話を終わらせるのが難しい時代になっていっているなと感じたんですよね。きれいにチャンチャンとハッピーエンドで終わらせるとあまりにもリアリティーがない時代になってしまった。ということを当時考え始めていて、自分が書く話もオープンエンドのほうがリアルなんじゃないかと思うようになったんです。それが『ユージニア』の頃ですね。

――その前の『Q&A』(04年刊/のち幻冬舎文庫)なんかも、事件の目撃者の証言が積み重ねられていって、同じ当事者でも事件をどうとらえたかが違うということを突きつけていましたよね。

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恩田 そうそう、それも完璧なオープンエンドの話でしたね。「藪の中」的な、「羅生門」シチュエーションってやつです。人間論が成り立たなくなり、善悪も相対的なものでしかないなとすごく思うようになって。今、ますますそうなってきていると感じます。そうしたことは自分が書く話にも反映していると思います。

――『ユージニア』は話題になっただけに、「真相はどうなんだ」とよく言われていましたよね(笑)。

恩田 言われましたよね(笑)。「やっぱり動機のない殺人はよくないよ」とも言われて「いや、ないわけじゃないんですけれど」と思ったのをすごくよく憶えています。実際、罪を犯した人だって、自分がなぜそれをやったのか本当に分かっているのかというと、分かっていないんじゃないかと思います。真相というのは相対的なものでしかないと思う。

――恩田さんはミステリー読みなので、やっぱり真相や動機が明かされた時の驚きも好きだと思うんです。そんな恩田さんがオープンエンドを書くというのが面白いなと思って。

恩田 そうですね、今も読む時はやっぱりちゃんと謎解きがあるほうが好きなんですけれど(笑)。でも自分で書く時は、なんかかっちり終わるのが不自然に感じるんですよね。だからついつい、オープンエンドになりますね。

――そのオープンエンドの見せ方を突き詰めたといいますか、山本周五郎賞を受賞した『中庭の出来事』(06年刊/のち新潮文庫)では、演劇の台本を書き換えるという要素を取り入れて、真相がどんどん作り替えられていくという展開ですね。

中庭の出来事 (新潮文庫)

恩田 陸(著)

新潮社
2009年7月28日 発売

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恩田 そうですね。あれは演劇的な枠組みなんですけれど、やっぱり小説だと思っています。真相はいくらでもあるよっていうことですね。その不安定さと不穏な雰囲気、宙ぶらりんな感じを味わってほしいというのはすごくあります。私、不穏というのがすごく好きなんですよ。

――宙ぶらりんな不穏さというのは、『きのうの世界』(08年刊/のち講談社文庫)の時にすごく感じました。

恩田 あれは街が主人公の話です。あれはね、昔のイギリスのドラマの『プリズナーNo.6』をやろうと思ったんですけれどうまくいかなかったという……。

――いやいや、宙ぶらりんで翻弄される感覚がすごく心に残りました。でもそう思うと、ぐっと最近の作品の話になりますが、読売新聞に連載された『消滅』(15年中央公論新社刊)などはちゃんと決着がついていますよね。

恩田 あれは珍しくきちんと終わりましたよね。「きちんとオチをつけてください」って言われたんだったかもしれない。まあ、並びによって落ち着くところに落ち着くものもあるという。

――ご自身でがっつり伏線張り巡らせて全部回収していくパズラー的な推理ものは書かないのですか。

恩田 いや本当は好きなんですけれど、そこまできっちり考える頭がなくて。『消滅』はわりと回収したほうだと思うんですけれど。できれば本格のようなものも書いてみたいんですけれど、大変なので(笑)。

――それにしても、ホラー、ミステリー、SF、ファンタジー、青春小説と、幅広くお書きになりますよね。『蜜蜂と遠雷』もエンタメということだけ意識されていたとおっしゃっていましたが、確かに恩田さんの作品はジャンル分けすることに意味はなくて、「エンタメ」ってことでいいじゃないかという気がします。

恩田 自分も今はあまりどのジャンルかを考えず、とにかくエンタメっていうくくりで書いていると思っているので。前は「ちょっとSF」とか、「これはホラーより」とか考えていましたけれど。今はもうあまり考えずに書くので、『消滅』でいきなりAIが出てきて近未来的になったりするのも、そういうことを考えないからできるのかなとも思います。

――突然空港が封鎖されて、数人の日本人が一室に集められて取り調べを受けることになりますが、その取調官がAIだという。AIの登場でいきなり近未来的な話になりますが、じゃあ最初の設定にそれはなかったんですか。

恩田 なかったんですよ。なぜか途中で「あ、この子人間じゃないな」と思い始めて、すごく迷ったけれどやってしまったんです。最初はもうちょっと、それこそ空港という場所が、どこの国でもない不思議な場所だということを書きたかったので。

――場所といえば、実際の日本のいろんな場所が舞台になっていますよね。『月の裏側』が福岡の柳川だったり、『ユージニア』が金沢だったり、『夜の底は柔らかな幻』の途鎖国は土佐ですし、『夢違』(11年刊/のち角川文庫)は奈良の吉野で。ゆかりのある土地ということではなく?

恩田 場所からインスパイアされるものはすごく大きいですね。ゆかりのある場合もありますが、興味があって行ってみた場所がすごくいいところだったりすると、使いたくなります。『夢違』なんかは作家になってからすごく鮮やかな夢を見るようになって、その夢をそのまま取っておけたらなという思いがあったのが始まりなので、吉野が先にあったわけではなくて。『まひるの月を追いかけて』(03年刊/のち文春文庫)で奈良を舞台にしたんですが、もう一度奈良を使いたかったというのはありますね。でも、今となっては正確なことは思い出せません。

――毎回毎回、どうしてこんなすごい世界が広がっていくのかなとすごく思います。

恩田 最初に場所が浮かんで、そこから広げていくパターンが多いですね。あと誰か、登場人物の一人が浮かんだ時。『蜜蜂と遠雷』の風間塵のように、誰かが一人出てきたら、その人との関係で誰が出てくるか決まるんです。この人のお友達だったらどういう人が、とか。『夜のピクニック』はまさにそうでしたね。主人公がいたら、友達はこういう人、じゃあクラスメイトはこういう人、といって他の人が出てくる。それの延長線上で話も出てくるという感じですよね。でも本によるので、あまりセオリーと呼べるようなものはないです。毎回、ちょっとずつ何かが違いますね。

©佐藤亘/文藝春秋

――それに加えて発想が面白いんですよね。たとえば『夢違』で夢を取り出す機械はどうやって発想したかといえば…。

恩田 自分が一度見た夢をもう一回見たくて考えたんですよね。

――じゃあ、『夜の底は柔らかな幻』で土佐を途鎖国と想定したのは……?

恩田 あれは高知に行ってカツオのたたきが食べたいという思いから始まったんです。

――え、そこですか(笑)。

恩田 それくらい単純な理由ですよ。高知ってすごく面白い場所だという印象があって、たたきを食べに行ってみたら本当に面白いところだったんですよね。根強い独立論があったという話を聞いて、昼間から飲んで、塩たたきを食べて、なんて素晴らしいところなんだろうって。

――そんな午餐からこの壮大な物語が生まれたとは(笑)。