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「生命の危険に遭遇するかもしれないから、慎重に」

田中義一総理(昭和の35大事件「田中義一大将の切腹」)

 さて、そうした政界の混乱と石田検事の死は関係があるのか。「田中義一大将の切腹」本編によれば、陸軍機密費事件については、「政友、憲政両党の政争と陸軍部内の長州閥、反長州閥の派閥闘争とが絡み合って表面化した産物でもある。検事局としても非常にやりにくい性質のものである。従って一身を賭してことに当る覚悟が必要でもあった」と指摘。「石田次席は検察が政争の道具に使われることを虞れて極秘のうちに取調べを進める方針を立て」、信頼している部下2人を補助に起用。「捜査に当っては秘密を厳守すること、『この事件は生命の危険に遭遇するかも知れないから慎重にことを運んで貰いたい』と注意した」と書いている。さらに「石田次席検事はこれを余人に任せず自ら陣頭に立って事件と取組んだのには、深く心に決するところがあったに違いない」とも。実際、石田検事は3月16~18日には、告発者・三瓶俊治を検事局に出頭させて3日間、自身で取調べた。「裁判所構内の一室に宿って 石田検事の手にて 深更を選んで取調べ」と3月19日付朝日朝刊は見出しを立てた。

石田検事は陸軍機密費事件の告発者を直接取り調べた(東京朝日新聞)

恐ろしい形相で『どんな根拠があってそんなことを言うか』

 それが10月30日の朝、突如変死体となって現れた。東京朝日の報道を見ると、10月31日付夕刊は「けさ省電蒲田駅近く 石田次席検事変死す」の見出しで報道。「他殺に非ずと断定」という東京地裁の発表を伝えながらも、「轢かれたか、車中から 墜落したか死体に 疑問の数々」と、いくつかの疑問点を挙げている。同日付朝刊では医師の検視を根拠に「過失と判った 石田検事の死因」と一応結論づけたが、11月4日付朝刊では「残る疑問に 大車輪の検事局 石田検事の死因に なほ取調を継続す」の見出し。「いまだ種々疑問の点が残っているので」「今後も引き続き調査を続けることとなっている」と、なお疑いが解消されていないとの見方を示した。だが結局、11月7日付夕刊では1面ベタ(1段)で「石田検事は過失死」の見出しで「取調べを行った結果、過失死なることは6日確定した」とあっさり結論づけた。

検事局は石田検事は過失死と断定した(東京朝日新聞)

「田中義一大将の切腹」本編によると、「当局は極力過失死を強調したに拘らず」、一部の新聞は他殺らしいと報道。「吉益(俊次)検事正は記者会見の際、他殺説を持出す者があると恐ろしい形相で『当局が百方手をつくして過失だと結論しているものを君たちはどんな根拠があってそんなことを言うか』と噛みつくような見幕で叱りつけた。こうして新聞記者達も耳を塞いで了った。かくて他殺説は全く表面から消え去ってしまった」と筆者は書く。

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 さらに「石田検事怪死事件」本編には「下山総裁の怪死に対しても、これと同様の推測が行われた」と約4半世紀後の戦後の事件との類似点を挙げている。