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連載昭和の35大事件

「石田検事を殺したのは『政治』」松本清張が断言した“石田検事怪死事件”とは

謎は歴史の闇に隠れてしまったのか

2019/10/27

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治

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解説:「下山事件」に酷似? 石田検事の事件捜査に影の手が伸びたのか 

松本清張氏 ©︎文藝春秋

 文藝春秋を中心舞台にした松本清張氏の活躍は、古代史から現代史に至るまでその量は膨大で、いくつもの山脈が連なっているようだ。その1つが、二・二六事件をハイライトとする「昭和史発掘」だろう。その中の「石田検事の怪死」も、いくつかの真犯人説を提示しており、読み物として興味深い。そもそも、これが「事件」とされるのは、変死した石田基・東京地方裁判所検事局次席検事が、大正時代最後の年となったこの1926年、3つの重大事件のうちの2つを担当していたからだった。ほかの1つは、この「35大事件」で既に取り上げた「朴烈・文子大逆事件と怪写真事件」。石田検事が担当していた2つは、「35大事件」の「田中義一大将の切腹」本編で詳しく取り上げた陸軍機密費事件と大阪・松島遊郭疑獄だ。

 陸軍機密費事件は、若槻礼次郎・憲政会内閣の下、政権奪取を狙う田中義一政友会総裁(男爵、元陸軍大将、のち首相)の死命を制するような事件だった。年が明けて間もない1926年1月14日、東京の金融ブローカーが2年前、300万円の調達を仲介したのに、報酬をもらっていないとして田中総裁を提訴。東京朝日が翌15日付朝刊で「疑問の三百萬円 見苦しい政界の裏面」と大々的に報道してスタートした。記事の中で田中総裁は「根も葉もない馬鹿げた話」としたが、国会で与党憲政会の中野正剛衆院議員が、告発者の元陸軍大臣官房二等主計三瓶俊治の「摘発書」を公表。「突如衆議院で発(あば)かれた 長州軍閥の醜状」(3月5日付朝日夕刊見出し)に、激しく追及する憲政会と、中野議員の処分を求める政友会の間で国会は連日大混乱。新聞の見出しを見ても、「政友報復の意気物すごく 雨か風かけふの衆議院」「深更四たび開会 たちまち乱闘」「重要議事をよそに 酒宴に耽るとは何事」「議場連日の醜態に 粕谷議長嫌気がさす」など、政界ニュースとは思えないすさまじさだった。

国会で陸軍機密費が取り上げられたことを伝える東京朝日新聞

憲政史上初めて…内務大臣だった若槻首相を証人尋問

 松島遊郭疑獄は逆に当時の若槻憲政会内閣を揺るがす事件だった。1月に政治浪人が「松島遊郭移転に関する政府の盲動と憲・本、研三角関係」という怪文書を配布。それを3月1日付東京朝日が「松島遊郭にからむ奇怪文書の内容」「政界の大うず巻」「各政党員は全部関係」などと大きく報道。以後続くスキャンダルとなった。憲政会の重鎮議員らが収監、起訴され、11月7日には、上京した大阪地方裁判所検事局検事が首相官邸で、移転運動が最も盛んだった時に内務大臣だった若槻首相を証人尋問。憲政史上初めてで、前代未聞の事態となった。しかし結局、土地取り引き業者が有罪となったものの、若槻首相は不問とされ、議員も無罪となった。

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 石田検事が変死した後の1926年12月27日、東京地裁検事局は陸軍機密費事件で田中総裁らの不起訴処分を決定。閣議でも報告された。結局、2つの事件とも、真相が明らかにならないまま幕を閉じた。28日付朝日朝刊は「石田検事の死亡もあって(結論が)延び延びになっていたが」「結局、証拠不十分の理由にて不起訴となすに意見が一致した」と報じた。

石田検事の怪死後、陸軍機密費事件は不起訴となった(東京朝日新聞)