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BEAMS×週刊文春 FASHION is SCANDAL!!

「流行の予測は早い人たちを見れば分かる。難しいのは引き時」

阿川 そもそもサイバーなり、イノベーターはどこにいるんですか?

設楽 社内にも一定数いますし、店舗で定点観測もしています。お客様の中にとてつもなく早い方がいるんですよ。彼らが興味を持っているものが、次に来るんです。

阿川 それは「いらっしゃいませ」だけの関係じゃ分かりませんよね。

設楽 分かりません。だからビームスの店員は、お客様と色々話すなど、コミュニケーションを取るようにしています。逆に僕なんかはマスだから、僕が手を出すような商品は、そろそろ引かなきゃいけないって、社員は感じてるんじゃないかな(笑)。

阿川 社長が着始めたぞ、よし、いまが引き時だって(笑)。

設楽 「設楽さん、よく次の流れが分かりますね」なんて言われますけど、流行の予測は、早い人たちを見ていれば分かる。難しいのは引き時なんです。在庫のリスクもあるけれど、同時に早い人から「まだこんなものを大きく展開しているのか」と思われたら、彼らが去ってしまうから。

阿川 じゃあ、まだ何万着売れそうだと思っても、思い切って引き上げる?

設楽 やります。それが出来なくなったら、陳腐化になってしまいますね。現在はビームスは全国に160店舗以上あり、ビジネスとして大きくなっているから、ある程度マスも相手にしなきゃいけないけど、必ず通が来たときにうなるものを置いておかなきゃいけない。売上データを見ると、そんなものほとんど動かないけれど、置いておくことに価値があるんです。

秋元康さんに言われた「ビームスと近いよね」

阿川 商売って難しいのね……。

設楽 難しいですけど、そこが勝負どころですからね。昔、秋元康さんと対談したことがあって、彼が面白いことを言ってたんです。おニャン子クラブをプロデュースしていたとき、作曲の後藤次利さんに対して、「この子たちのファンはラジカセで聴くから、音質にこだわる必要はないよ。ただし、プロが聴いたときに『なに? このコード進行?』となるものを入れておいてね」と伝えたそうなんです。

阿川 どういう意図で?

 

 

設楽 それがバカにされないコツだと。続けて、秋元さんに「ビームスと近いよね」と言われたんです。そのとき「スゲェな!」と思いましたね。

阿川 「秋元さん、わかってるじゃん!」となった?

設楽 なりました(笑)。うちの場合だと、要するにイノベーターくらいの人たちが店に来たときに「ああ、やっぱりこういうものまでちゃんとやってるんだ。たまにチェックしなきゃまずい」という風に思わせないと続かないんです。

阿川 ほうほう。それは社員の方も共有してる感覚なんですか?

設楽 していますね。社内ではよく「コクとキレが必要だ」と言ってるんですけれど。

なぜビームスを全国160店舗にまで広げたか

阿川 ビールにたとえて?(笑)

設楽 うん。コクというのは本流のいいもので、キレというのは一瞬にして「クーッ」となる要素ですよね。キレだけだと一瞬で終わっちゃう。たとえば週刊文春でも、強烈なスクープもあれば、コクのある連載もある。その両面が大事で、どういう風なバランスで展開していくかなんです。

阿川 それに気付いたのはいつ頃なんですか?

設楽 それこそ、80年代の最初、先ほど言ったようにロゴトレーナーの大ブームがあったときに気付きました。このまま行くとまずい、ビームスはロゴトレーナーしか売ってないと思われる。売上の半分を占めているけど、やめようとなりました。

阿川 その決断は勇気が要ったでしょうね。

設楽 でも、他店もそれに気付いて、やめたところから残っていますよ。その後も同じようなことが何回かありましたね。一時期、ビームスのオレンジの袋が街中にあふれたことがあって、これもやめました。そこから十数年経って、「あれ懐かしいよね」という声が出てきたんで、いまはちょっと形を変えて復活させましたけど。

阿川 ビームスは全国に160店舗以上あるとおっしゃっていましたが、事業として広げようと思った理由は?

設楽 自分たちが本当に作りたいものや、仕入れたいものを揃えるためですね。海外からこれを仕入れたいと思っても、最低これだけ買ってくれないとうちは売らないというものがあったりしますから。あとは、ビームスが世の中の風俗・文化を変えていこうというときに、ある程度各地に店がないと、その声が広まりませんよね。

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