――次の『カラスの親指』で日本推理作家協会賞を受賞されます。これは編集者に「詐欺、詐欺」と言われて思いついたって、前にインタビューでおっしゃっていましたね。
道尾 お酒を飲みながら話していた時に「男同士の友情ものを読みたいなあ」と言われて「どういう人たちにしましょうかね」って言ったら「詐欺師、詐欺師」って。なるほど詐欺かあと思った時に、僕動物好きだから、サギって鳥もいるよなあと思って。その時にもう章立てを鳥の名前にするというのを思いついていました。そうすると、鳥の中には托卵をするカッコウがいたりするので、そこからあっというまに物語の全体像ができたんですね。
――これはコン・ゲームもので、ユーモアを前面に押し出した作品でもある。また、社会的に権力のない人たちが集まって行動を起こしていく賑やかな作品であり、疑似家族的な関係の系譜はここから始まっているように思います。
道尾 そうですね、これが出発点でした。主人公がどう考えても成功者ではなくて、バカな失敗ばかりしていて、それに輪をかけてバカなことをする奴らが仲間になっていく。笑いが多いのは、彼らがあまりに重い過去を背負っているからです。哀しい人ほど、よく笑うものですからね。
あの時期、ミステリ評論家の千街晶之さんに「なんでいつも家族がテーマになっているんですか」って訊かれて驚いたんです。そこではじめて、これまでの長篇も短篇も、全部家族がテーマになっていたと意識しました。じゃあ、意識したからには、それを前面に据えて、家族がテーマの小説を書こうと思ったのが『カラスの親指』だったんです。
その時に自分の実体験や周囲の人たちの体験や、いろんな小説や映画に触れて思っていたことがあって。それは、他人のような家族よりも、家族のような他人の方が、時として強いということ。それが小説に反映されて、書いた家族は本当の家族ではなく疑似家族になったんですね。現代の核家族化に対する思いもありました。僕、向田邦子さんと久世光彦さんがつくったテレビドラマ『寺内貫太郎一家』が大好きなんです。まさに家族の強さが描かれていて。でもあれは現代じゃ通用しなくなっている。ほとんどファンタジーになっているんですよね。自分は現代を描きたかったから、あれとは違う形で家族を書こうという気持ちがあって、疑似家族を描いたんです。登場人物に「貫太郎」がいたりするのは、お二人へのオマージュでした。以来、家族あるいは疑似家族というのはずっと僕のテーマになっています。
もともと個性の違う人たちが集まる話が好きなんですね。凸凹な連中が協力しあって、ひとりじゃできないものに立ち向かう。そうすると、相手も大きいものが書けるんです。ひとりだと、すごく推理の冴える奴とか、スーパーマンみたいな人じゃないと大きなものに立ち向かえないから。
――一方で短篇集『鬼の跫音』(09年刊/のち角川文庫)のような怪奇小説集も出されていますね。日にちが遡っていく日記など、構成も凝っていて。他の作品でもそうですが、文体も慎重に選んでいますよね。
道尾 一篇目に書いた「箱詰めの文字」は都築道夫さんの影響を受けています。でもそのあとは独自に出てきたものだと思います。
文体については、もちろん主人公に合わせて全く変わります。三人称なのか一人称なのかで使える単語が違ったりもしますし、漢字の閉じ開きを含めて、文体を細かく調整していきます。『スタフ』なんかは女性視点だから、比喩なども女性的にしてあったり。たとえば、“ネックレスの鎖のように指の間からするすると抜け落ちていく”とか。
――次の『龍神の雨』(09年刊/のち新潮文庫)は2組の困難な状況にあるきょうだいの話で、大藪春彦賞受賞作品。これも社会的に力を持たない人たちの話です。圧倒的に権力を持つ人って書かないですね。
道尾 書かないですね。世の中にはビル・ゲイツみたいな人もいるだろうけれど、実際に会ったことがないから、自分の中にリアリティがない。書いても、きっと作りものに見えてしまう。僕はきっと、体温を感じられるキャラクターしか書けないタイプなんです。でも、いつか巨悪なんかも書いてみたいですね。
――このなかにも小学5年生の男の子が登場しますが、『向日葵の咲かない夏』『シャドウ』『月と蟹』など、9歳から10歳にかけての年頃の主人公が多いですね。
道尾 いろんなものが芽生え始めて、性に関しても、どこか中性的な部分がある。同性同士の愛着が恋愛に似ていることもあるし。時期としてすごく魅力的なので、書きたいんです。6年生だと大人に片足を踏み入れているところがあるし、3年生だとちょっと幼すぎる。4年生から5年生くらいがちょうど、いろんなものが入り混じっているんですね。トワイライトって、「2つ」という意味の「トワイ」と「ライト」が組み合わさった言葉ですよね。太陽の光と、月の光。そのイメージです。繊細でもろくて、一瞬で終わってしまう。