家族とは? 救いとは? 最高傑作を書きたいと思った
――『鏡の花』(13年集英社刊)はどのような経緯があったのですか。
道尾 集英社から出した『光媒の花』の反響がすごくよかったので、もう一度それにチャレンジしたいけれど、同じことはやりたくなかったんです。それで〈花〉シリーズを考えました。前回の〈光媒の花〉というのは人間のことで、光を媒介にして広まっていく、繁殖していく生き物という意味でした。だから第1話の脇役が第2話の主人公になって、第2話の脇役が第3話の主人公になっていくというスタイルになっています。今回はそれと似ていることはやりたくなかったんですね。でも連作にしたいという思いはあった。
それで、第1話で生きている人は第2話で死んでいて…という、生きている人と死んでいる人が入れ替わっていく連作を考えたんです。そして、最終話では全員が生きている。でもそれでハッピーかというと実はそうではない。パラレルワールドの中で、あんなに生きていてほしかったと願っていた人が、実際に目の前で生きているのに、生きていてくれるというその価値に気づかずに仲違いしてしまったりする。生きていることの大事さを認識し直すというテーマがありました。
――翌年の『貘の檻』(14年新潮社刊)はまたガラリと空気が変わって、横溝正史っぽい空気の漂う作品ですね。かつて父親が犯した殺人事件の真相を知るために寒村を訪れた主人公が奇怪な出来事に遭遇する。
道尾 ある一人の人物が見ている悪夢だけを連作にしていく〈貘〉シリーズというのを雑誌に書いていたんですが、ある時ふと、その夢を見ている人のことを書きたくなっちゃったんです。それまでは、その人がどういう人なのか具体的には考えていなかったんですよ。「何かから逃げ続けている」というイメージや、「とてつもなく大きな後悔を抱えている」というイメージはあったんですけれど。それで、編集者に連絡をして「長篇を書いていいですか?」と訊ね、書くことになりました。最終的に、夢の部分は5%くらいで、あとの95%が書き下ろしになった(笑)。自分では意識していなかったんですが、ストーリーは横溝正史の『八つ墓村』の影響がありますね。綾辻さんに「オマージュがきいていたね」なんて言われて読み返してびっくりしたんです。こんなに共通点があったのかって。登場人物の名前も美也子と美禰子とか、似ているんですよ。
――そして『透明カメレオン』。これもラジオのDJとその周囲の人々が団結してある出来事に立ち向かうわけですが、最後に大きな驚きがあり、それが読み手の感情をゆさぶるんですよね。もともとラジオがお好きですよね。
道尾 そうです、ラジオ番組が好きで、自分でもいろいろネタを投稿してボツになり続けて。これを書いている頃はボツ続きだったんですけれど、その後1回だけ採用されました。伊集院光さんのラジオ「深夜の馬鹿力」で。記念品のカードが送られてきたので、大事に飾ってあります。
――どんな名前でどんなネタを送ったんですか。
道尾 いや、ものすごく下品なネタで。だからラジオネームも言いません(笑)。
――この『透明カメレオン』は昨年、作家生活10周年記念作品として刊行されましたが、どういう作品を書こうと思ったのですか。
道尾 やっぱり集大成ですね。ショーマンシップを発揮しつつ、サプライズも色あせないようにして、家族とは何かというテーマも入れ、救いとは何かというテーマも突き詰めていく。その時点での最高傑作を書きたいと思いました。もう一つは、それまでは「好きな人だけ楽しんでください」という気持ちがどうしても少し残っていたんですけれど、今回は100人読んだら100人に「一番好きです」と言ってもらえるものを目指したかったんです。
――今までは自分のために書いてきたけれども、はじめて読者のために書いた、という。
道尾 そうなんです。あとは、文体自体がひとつのトリックになっている、という点ですよね。詳しくは記事にできないだろうけれど。