バブルの頃、「海の向こう」は珍しくなくなっていた
そのうちにお金を貯めて、そんなグループから一人また一人と「海の向こう」に旅立っていった。ファッションデザイナーを目指したり、失恋を忘れるためだったり、その理由はさまざまだったが、ほとんどは女の子だった。なかにはそのまま現地の男性と暮らすようになった娘もいて、何十年かたって突然連絡をもらったりする。これはあとから知ったのだが、それぞれの都市にはアーティストくずれの日本人村のようなものができていて、そこにいけばまったく言葉が話せなくてもなんとかなったのだという。
それからぼくは結婚し、子どもができて、会社に勤めはじめた。80年代末のバブルの頃になると、「海の向こう」はもう珍しくなくなっていた。海外旅行はごく当たり前で、遅ればせながらぼくも、かつて憧れていた場所に行ってみた。
サンタモニカのビーチでは若者たちがスケートボードに興じていたし、フロリダのキーウェストに向かうセブンマイル・ブリッジではハーレーダビッドソンに乗るバイカーの集団に遭遇した。サンフランシスコでは地元のひとですら近づかない地区のホテルに泊まり、まわりがアルコールやドラッグ中毒者ばかりで驚いたりもしたが、どこもふつうのひとたちがふつうの暮らしをしていた。
トランプが大統領になったあと、ひさしぶりにニューヨークを訪れた。旧友と食事をしたあと、タイムズ・スクエアまで歩いてみた。街灯は暗く、歩道の敷石はところどころ剥がれ、古いビルにミュージカルの貧相な看板がかかっていた。はじめてこの場所に立った時のわくわくする感じはいったいどこにいってしまったのだろう。
パリのサンジェルマン・デ・プレやロンドンのキングス・ロードを歩いていて、「あの娘たちが夢中になってしゃべっていたのはここだったのか」と突然気づいて、あの頃を懐かしく思い出すこともある。これはぼくが年をとったということであり、日本の社会が成熟したということなのだろう。もはやトランジスタ・ラジオから、海の向こうの聞いたことのないメロディが流れてくることはない。
それでも若者たちは、いつの時代も恋や夢を語っているにちがいない。現代の「シティ・ボーイ」たちに、素晴らしい「海の向こう」があればいいと思う。