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2019/11/01

もしあのシーンが「止めて!」じゃなくて「ありがとう」だったら

 悲劇にみせて実は喜劇をつくった。悪い冗談だけでつくった。今回のジョーカーは気弱で純粋そうに見えたが、実は客席の後方で「真面目に見る人」を眺めて笑っているのかもしれない。

 しかしそれでもこの大ネタに関しては真面目に語る価値がある。ネタ(コメディ)だろうが、今の社会を浮き彫りにしているからだ。

「映画秘宝」(11月号)ではトッド・フィリップス監督はあるシーンを例に語っている。ジョーカーになる前の主人公アーサーについて。

《ほら、バスのなかでアーサーが子どもを笑わせようとすると、母親が止めさせるだろ。もしもあのシーンが「止めて!」じゃなくて「ありがとう」だったら、アーサーはどれだけ幸せな人生を歩むことができたんだろうと想像するんだ。》

 いかがだろうか。映画の冒頭に描かれていたシーンにいきなり大きな意味があった。アーサーはいないいないばあっ!のようなことをして子どもを笑わせていた。しかし母親に拒絶される。

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 もし、あそこでアーサーの「親切」に母親が礼を言って和み、周囲の乗客たちも笑顔で見守る社会なら……。

 映画はここで終了なのだ。ジョーカーを生む必要は無いのだから。

 しかしバスの人々はアーサーを受け入れなかった。あのバスの不寛容な空気は今の社会そのもの。誰も和んでくれない状況にアーサーは一人で笑った。それは脳の障害による発作で、緊張すると発症する哀しい笑いだった。

 コメディだとしても、現代を描いた箇所を思わず真面目に見てしまう。でもジョーカー可哀そうと思ってどんどん肩入れしていくと……。ああ、なんという巧妙な構図なんだろう。