「五族協和・王道楽土」からかけ離れた満州国の実体
それからでも半世紀余り。2008年には日中両国の研究者による「日中共同研究 『満洲国』とは何だったのか」が出版されたが、それでも両国の研究者のスタンスには大きな違いがある。
「キメラ」を読むと、日本の軍部を中心とした満州国建国と満州支配には、結果論でなく、ほとんど正当性は認められない。満州の実体は「五族協和・王道楽土」のスローガンとは懸け離れたものだった。現在の中国では必ず「偽」を付けて「偽満州国」などと呼ぶ。戦後国際政治の中での日中関係は複雑だった。しかし、たとえ「負の遺産」であっても、批判を前提にしても、教訓を後世に生かす研究はなされるべきでなかったか。石原莞爾の批判と再評価も含めて、そうしたことが実現する日が来るかどうか……。
「毎晩毎夜、芸者をあげて酒を飲んで、どんちゃん騒ぎ」
実は、甘粕正彦と岸信介は非常に親しかったとする資料が多い。「岸は甘粕を高く買い、“刎頚の友”になっていくのである」(太田尚樹「満州裏史」)。
小林英夫「『昭和』をつくった男」は「満州国で岸は、麻薬王といわれた甘粕正彦と接点を持ちます。表の帝王が岸であれば、裏の帝王は甘粕であるともいわれました」「甘粕はアヘンの専売を一挙に手に入れて大もうけをしました。もうけの一部は甘粕がフィルターの役目を担って、岸に献金されていました」「岸も甘粕も毎晩毎夜、芸者をあげて酒を飲んで、どんちゃん騒ぎをしたといいます」と断定的に書いている。当たらずといえども遠からずだったのだろうか。
甘粕はその後、満州映画協会の理事長となって李香蘭(山口淑子)を売り出すなど、実績を挙げ、満州で実権を握り続けた。そして敗戦時、青酸カリをあおって自殺する。
岸は満州で発揮した政治的な手腕に自信を深め、東条内閣で商工相に。戦後、A級戦犯となったが、訴追を免れて政界に進出。GHQ(連合皇国軍総司令部)の後押しもあって、首相に上り詰める。1960年に日米安保条約改定を強行して退陣したが、その後も政界に隠然たる影響力を持ち続けた。満州を舞台に陰に陽に力を振るった2人の人間の対照的な後半生だった。
【参考文献】
▽角田房子「甘粕大尉 増補改訂」 ちくま文庫 2005年
▽山室信一「キメラ」 中公新書 1993年
▽中田整一「満州国皇帝の秘録」 幻戯書房 2005年
▽岸信介・矢次一夫・伊藤隆「岸信介の回想」 文藝春秋 1981年▽原彬久編「岸信介証言録」 毎日新聞社 2003年
▽満洲回顧集刊行会編「あゝ満洲」 満洲回顧集刊行会 1965年
▽植民地文化学会・東北淪陥一四年史総編室「日中共同研究 『満洲国』とは何だったのか」 小学館 2008年
▽太田尚樹「満州裏史」 講談社 2005年
▽小林英夫「『昭和』をつくった男」 ビジネス社 2006年
▽溥儀「我的前半生」 1964年=邦訳「わが半生」 大安 1965年
▽李淑賢資料提供・王慶祥編集「溥儀日記」 學生社 1994年
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