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妻の短い余命を聞いたとき、取り残される夫はどう変わるのか

紗倉まなが『妻の終活』(坂井希久子 著)を読む

2019/11/04
『妻の終活』(坂井希久子 著)

 家庭に入ることが人生の安定と言われるが、関係性は分刻みに変わり続け、抗(あらが)えない事象によって切り裂かれ、そして時に消滅する。夫婦の先にあるのも、自分の先にあるのも、生きる延長にあるのは揺るぎない死であるというのに、死ぬことを信じられているのかも曖昧なまま生きさらばえる。誰しもが体験する共通の喪失に向けて、どう準備して取り扱えばいいのか。何を励みに死を抱きしめればいいのか。呆然と立ち尽くすような恐怖を、簡単には整理できない。

 典型的な亭主関白、仕事一筋で家庭を顧みずに生きてきた団塊世代の廉太郎と、そんな夫を献身的に四十二年間支え続けた杏子。生活能力が低く、精神的自立はできぬまま高齢者になってしまった廉太郎は、会社での居場所も威厳もなくし、見知らぬ人には老害と呼ばれ、娘二人と妻の姉妹のような強い結託の中にも入ることができない。そんな廉太郎はある日、唯一の理解者である妻の短い余命を聞く。これまでの家族の空虚を埋め、手間をかけることのなかった夫婦の地盤を改めて踏み固めていく中、「基本的な生活」をどれだけ放棄し続けてきたのかを知った夫は、同時に、杏子から与えられ続けてきた深い愛に気付く。どうして杏子は長年自分に連れ添っていたのだろうか。廉太郎は考え、そして、次第に変化していく――。

 もし自分の方が長く生きてしまったら、もし自分の方が先に死んでしまったら、という問いは、パートナーがいる人ならば、遅かれ早かれ投げかけられてしまうものである。生き延びてしまったと思うのか、死に損ねてしまったと思うのか。どちらにせよ、取り残される側が向き合わなければいけないのは、「生きることの変化」だ。見送る側の使命は、殴りつけてくるような変化に耐え切れず、孤独の回収もできなくなり、退屈さに殺されてしまうことではない。杏子が廉太郎に与えたのは、そんなあたたかくも強い、生きることの確実な変化だった。

 そもそも、一緒にいる、とはどういうことなのだろう。妻のことを知らなくても、知りたいと強く願わなくとも共に生活することのできた廉太郎にとって、一緒にいることの感覚や意義は、相手に依存しながらも、どこか鈍くて軽い。胸に大事に抱えていたものが大したものではなくなり、着こんでいた見栄を一枚ずつ脱ぎ捨て、死という機会をもってはじめて、妻を一人の人間として切り離すことができた。変化をし続けることで、存在の意味と価値は後からついてくるのだと強く訴えられたように感じた。苦しさの中に光る希望は、あまりにも儚くて眩しい。廉太郎が変化を続ける先に見つけられるものは何か。近く訪れる自分の死はどのように抱きしめるのか。どうか杏子のように優しく、柔らかいものであってほしい。

さかいきくこ/1977年、和歌山県生まれ。2008年「虫のいどころ」でオール讀物新人賞、17年『ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや』で歴史時代作家クラブ賞新人賞受賞。主な小説に『17歳のうた』など。

さくらまな/1993年、千葉県生まれ。AV女優、タレント、作家。主な著書に『最低。』『凹凸』など。

妻の終活

坂井希久子

祥伝社

2019年9月11日 発売

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