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苦しいときは、わかりやすい手は指さない

 なかなか諦めない理由を「性分」と口にするが、やはりそこには2つの理由があるそうだ。まずは、観ているファンのためだという。

深浦 なかなか諦めないのは、観ている方のことを意識しているというのはあります。タイトル戦などは、都心じゃないところでやりますよね。わざわざ遠方からきてくださる人のことが脳裏にあって、夕方3時くらいに終わってしまっては申し訳ないなと。また自分が苦しいときにも頑張ることで、観ている人に感じるものが与えられればとも思っています。

 タイトル戦でも、まず目標にするのは、フルセットの最終局まで指すことです。最高峰の舞台で真剣勝負をやれること自体が意味のあることですし、やはり最後までもつれれば、周りも盛り上がりますよね。最終的な勝ち負けよりも、まずは最後まで指すこと。観る方に楽しんでいただくためにも、まずそこを目指します。

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――なるほど。

深浦 あと、将棋の世界ってやはり狭く、同じ人と何十回と対戦する。一度でもあっさり諦めてしまうと、後々影響してくるというのは肌で感じています。

――深浦康市と対局するときは「簡単には諦めてくれないな」と思わせることが大切と。

深浦 そうですね。それは大きいことかと思います。簡単には土俵は割らないぞ。粘り強く指すという意識はあります。ですから、対局の朝は、納豆と生卵を食べて。

――粘り強さを意識すると(笑)。

深浦 はい(笑)。

 

――「粘り強い手」というのは、具体的にどういう手なのでしょうか。

深浦 人間と人間なので、わかりやすい手は指さないようにします。相手の読み筋に入ってしまうと、自信を持って指されてしまうのでそういう手は指さない。

――将棋ソフト的な最善手というよりは、人間が指されて嫌だなという手を指すわけですか。

深浦 そうですね。100点の手で指されたのを、100点の手で返すと読み筋に入ってしまうので、あえて60点くらいの手を指す。もちろん形勢が悪化する可能性もありますが、そこに賭ける感じですね。もうひとつは、長引く手ですね。形勢はよくならないけれど、手数を伸ばす手。こうすると相手も指し手が増えるので、間違える可能性が高くなるんです。みなさんの意見を聞くと、自分はこの長引く手が多いようですね。

天彦さんの対局だと「今日は遅そうだな」と思います(笑)

――深浦さんから見ても、粘り強いと思う人はいますか。

深浦 天彦さん(佐藤天彦九段)のことは思い浮かびますね。大振りをしないタイプ。気が長くて決着を焦らない。天彦さんが相手だと終電では帰れないなと。解説の仕事でも、天彦さんの対局だと「今日は遅そうだな」と思います(笑)。

――やはり劣勢のなか、指し続けるというのは、苦しいものですか。

深浦 苦しいですね。投了しちゃったほうが楽かなぁと、いつも思っています。それにこうした粘りが勝利に結びつくことは、おそらく1割にも満たないですから。

 

 粘りが勝ちにつながるのは10回やって1回もないと深浦九段は語る。しかしこの粘りが結実した1局は、「将棋星人」であるところの藤井聡太戦にある。

 観る将ファンのなかにも記憶されている方は多いことだろう。2017年12月23日に行われた第3期叡王戦本戦トーナメント1回戦。これが深浦九段と藤井聡太七段(当時・四段)との公式戦初対局であった。

《序盤がひどすぎて、ずっと苦しく、勝ちが見えたのは最後に詰みを発見したところでした》

 この深浦九段の対局後の言葉からもわかるように、序盤から藤井四段がリードを奪う。しかし、ここから粘りに粘り166手の激闘の末に藤井四段を投了に追い込んだ。勝ちがあったであろう局面からの負け。藤井四段が投了後、がっくりとうなだれる姿が印象的だった。