「大丈夫か? お前!」
2019年6月3日。王座戦挑戦者決定トーナメント1回戦、藤井聡太七段と佐々木大地五段の対局の際、弟子の指した一手に思わず解説を務める師匠・深浦康市九段が口にしたこんな言葉が話題になった。この一言について聞くと「あれは解説じゃなかったですね」と、深浦九段は恥ずかしそうに笑みを見せた。
深浦九段といえば、弟子である佐々木大地五段との「師弟愛」にも注目が集まっている。盆暮れの挨拶だけという師弟関係もあるなか、なぜ深浦九段は、弟子との密な関係を築いているのか――。深浦康市九段インタビューの後編となる本稿ではこの師弟関係の話から探っていこう。
(全2回の2回目/#1より続く)
◆ ◆ ◆
深浦が東京・関東圏の弟子を取らない理由
深浦 自分には、奨励会に5人と佐々木の計6人の弟子がいますが、北海道が1人であとはみんな九州出身です。というのは、東京や関東圏の人は弟子に取らないようにしているんです。
――それはなぜですか。
深浦 自分は長崎の出身で、地元の方から手を差し伸べてもらい、師匠(花村元司九段)などにも橋渡しをしてもらったという恩がありますから。できるだけ、プロ棋士となかなか出会えない地方出身者から弟子を取ろうと思っています。
――とはいえ、東京の方から弟子になりたいという話はありませんか。
深浦 「ぜひ弟子にしていただきたい」という手紙をもらったこともありますが、「東京には他の棋士の方もいますので、すみません」とお断りをしました。ちょっと申し訳なかったですね。
◆
プロ棋士の養成機関である奨励会への入会は、定期的に東京か大阪にある将棋会館に通わねばならないということを意味する。棋士に地方出身者が少ない原因には、こういった地理的要因があり、奨励会入会を期に家族で引越しをするケースも少なくはない。
長崎出身の深浦九段は、12歳で奨励会に入会。このため長崎をひとり旅立ち、埼玉の親戚宅に居候する。そして中学を卒業と同時に、アパートを借りて一人暮らしを始めている。
◆
――それからは、ひとり将棋だけに向き合って……。
深浦 そうですね。高校進学もほとんど考えなかったですね。
テレビも置かず、四段を目指した日々
何事でもないように深浦九段は口にするが、その苦労は並みのことではないだろう。そんな深浦少年の当時の様子を、棋士の師弟関係を追った傑作ノンフィクション『師弟』(野澤亘伸・著/光文社)から少し引用してみよう。
《部屋には四段になるまでテレビを置かなかった。まだ携帯もない時代である。15歳から19歳まで、ひたすら将棋とだけ向き合い続けた。奨励会で負けた日は、部屋の中で将棋盤を抱いて泣いた。強くなるしかないと、自分に言い聞かせて》
この中学卒業と同時にひとり将棋だけと向き合える強さは、深浦九段の代名詞ともいえる「粘り」の源流のようにも思える。また、地方から棋士を目指す若者の力になりたいと考える源泉でもあったのだろう。
そもそも棋士が弟子を取らなければいけないという決まりはない。また、弟子を取ったからといって、報酬や待遇面などで特段メリットがあるわけでもない。なぜ、弟子を取り、そして育成していくのだろうか。