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来年、ビーバー発売からちょうど50周年

――もともと揚げあられの売り上げはどのような感じだったのでしょうか。

高崎 八村選手効果はもちろん予期もしていませんでしたが、昨年12月に社長に就任してから、米菓の売上は徐々に伸びていましたね。もともとお菓子の味には自信があったので、もっと知ってもらうための活動をしようと方針を立ててやってきました。

 ちょうど来年がビーバー発売から50周年に当たるんですよ。こちらでも40代、50代以上の人はよく知っているんですが、いまの20代、30代だとビーバーって言っても「なんですか?」とピンとこないこともある。そこで、若い子に知ってもらうためにSNS戦略にしっかり力を入れていこうと。ビーバーの着ぐるみを作ってスーパーで販促活動をしたり、LINEスタンプも作りましたね。着ぐるみができたのが4月末で、徐々に盛り上がり始めたんです。

50周年のビーバーだが、着ぐるみは4月末にできたばかり。赤いTシャツは、同じく金沢市に本社のあるOJICOによるデザイン

 東北や九州にお住まいの北陸出身の方から「私、旦那の都合でここに住んでいるんですけど、私たちも是非、身近で買えるようにして欲しい」という声が集まり、全国のスーパーに展開しようという話にもなりました。6月3日にビーバー(プレーン味)の全国発売を始めたんです。そうしたら、その1カ月後に八村さん効果があって売場から全部消えてしまった。こういう流れだったんです。

ずっと地元に愛されてきたビーバー

――基本は北陸3県でずっと売っていたんですね。

高崎 そうです。この6月までは北陸3県のみでした。石川、富山、福井ですね。あとはECを除けば北陸フェアの催事に持ち出すぐらい。富山の白エビ、北陸の地元のもち米を使っています。

 

――50年前に発売されたビーバーはプレーン味ですか。

高崎 プレーン味です。当初、福富屋製菓さんというメーカーがビーバーを作りまして、その後に白えびビーバーも生まれました。ただ、やがて事業が立ち行かなくなってしまった。そのころ僕は社長じゃなかったですけど、文化や事業の継承という意味もあって、うちで引き継ぐことになりました。地元の方の声が強くて、新聞にも「ビーバー復活を」という意見が載ったぐらいだったんです。そのとき、やるからには少しでも美味しいと思ってもらえるように、パッケージも新しくしました。こういうストーリーもあって、地元の方には応援していただきましたね。