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英語教育の必要に迫られている日本

 まあ、毎度言われることですけど、どうなってるんだ我が国の英語教育は、というのは以前から議論にはなっていたんですよね。なので、文部科学省も今回の「身の丈」発言の前から、英語教師はネイティブ話者を雇いましょうとか、英語教育の奨励プログラムはありますけれども、実際には小学校では特に学級担任が普通の授業の一環として英語を小学生に教えている、というのが実態であります(2018年:英語の授業を担当するのが学級担任であるクラスは80.5%)。

平成30年度「英語教育実施状況調査」概要(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/04/17/1415043_01_1.pdf

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 そういう日本の英語教育の成れの果てが、大学入試における民間英語試験という出口での改革で良いのか、というジレンマはあります。何でも利権に結びつけて考えるのは良くありませんが、こんなのは少子化で細る教育産業が業界として市場をガメにいったと批判されても仕方のない面もあるのかもしれません。ベネッセが名指しされていて可哀想ですがお前も悪い。

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 ただ、教育論・教育学を専門にする人たちの間でも本件が賛否両論なのは「とはいえども、日本人はグローバル社会への対応や、日本に観光に来る外国人とのコミュニケーションを取るうえでも、きちんとした英語教育をする必要に迫られている」という当たり前の大前提が根底にあるからだと思います。

海外行ったことすらないような教師が英語を……

 一方で、そういう英語教育を担う現場というのは先にも述べました通り英語など本来ネイティブでもなんでもない担任教師が教科書片手にディスイズアペンとやっているわけで、素人の適当な英語を時間かけて教わる小学生が可哀想であることぐらいは容易に想像がつきます。お前に英語教えてる担任教師、海外行ったことすらもないかもしれないんだよ。

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 日本の初等中等教育の現場が荒廃していると言われるのは、少子化が進展しているにもかかわらず教師という職業自体が地域や家庭の問題までおっ被せられてブラック企業も真っ青になるほど劣悪な労働環境に陥っているからです。

 最近では子どもの親の離婚にまで教師が挟まって右往左往したり、親の虐待を教師が気づけなかったから教師はけしからんという話も出たりしますが、それってどう考えても親の問題ですよねえ。何で地域のこととか家庭まで教師が介在させられてしまうの。下手すれば家庭でこなすべき躾まで教師がどうにか対応しろという話になり、駅前やコンビニ前で子どもが騒げばあそこの学校がアカンのだと叩かれる現実があるわけですよ。

 多感な子どもたちが抱える問題がどんどん教育の現場に押し付けられて、学問を教えたり学級経営をしなければならない教師に雑務が降ってくるようでは、仕事ばかりが増えて大変な負担であることは間違いないのです。そして、昔は中堅大学の卒業生にとって花形の資格であるはずだった教員採用試験は、かつての5倍6倍だったころに比べていまや一部で1.2倍を切るぐらいになり、もはや漢字で名前が書ければ教師になれてしまうぐらいの勢いでレベルが下がってしまっているとも言えます。