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「英語のできない英語教師」に縛られ英語ができない“身の丈”ジャパンの諸問題

我が国の高等教育はどう仕切り直されるべきなのか

2019/11/08
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日本の教育の目指すところは大学入試という現状

 むろん、志のある教師たちがいまなお多くいるからこそ、日々研鑽し子どもたちと向き合って日本の教育の現場はかろうじて成り立っているのでしょうが、それは医療でもAmazonでもユニクロでもみんなみんな限界まで頑張って何とか現場が成り立っているという状況と変わりはありません。放っておくとみんな崩壊してしまうんじゃないかというレベルで。

 そして、日本の教育の目指すところは、大概において大学入試であります。東京大学や京都大学に何人入ったのか、国立大学や慶應義塾の医学部にどれだけ生徒が送りこめたのかが中学高校教育最大の関心事となり、学校も予備校も大学への入学実績ですべてを競っているわけです。まるで馬鹿高いノルマを押し付けられた営業マンのようです。

 そこに、たいして英語も喋れない担任が英語を教えている地方公立小中学校と、それなりに親が裕福で潤沢に資金を教育に突っ込める家庭が通う学校とでは、文部科学省大臣である萩生田光一さんが語る「身の丈」が平等で適正なのか問われるのも当然と言えます。

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喋ったこともない英語を、前途ある子どもに教える辛さ

 とはいえ、英語教育はやらなければならないのです。日本の教育の現場では、算数の筆算や漢字の読み書き、慣用句や一通りの理科社会を満遍なく教えることはできたとしても、英語はまた別のスキルです。どうにかならんのかね。アイハブアンアポーとか英語のできない教師が前途ある子どもたちに教えるというのは想像するだに辛い。ピコ太郎かよ。

 教えられる子どもたちにとっても辛いし、教えなければならない教師の皆さんも辛い。

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 だって、まともに喋ったこともない英語を、まともに喋ったこともない小学生に教えるんですよ。うまくいくはずないじゃないですか。もしも大学入試改革で本気で英語力が求められるのだとするならば、まずは都道府県に英語のできる教師を非常勤でも良いから多く雇い、小学校中学校を巡回して英語を教え、場合によってはインターネットも使いながら生の英語を必要に迫られて学んでいくというぐらいの仕組みが必要です。ALT(外国語指導助手)などはようやく全国で18,000人を超え(2017年)、これからもっともっと地方と英語話者とが一体となって英語力を地域に根付かせられるような状況になっていけばいいなと思います。

 英語の喋れない日本人を量産してきた我が国の教育環境も、文部科学省の頑張りも多少はあり、また学校教育の現場も何とか対応して前向きに進めるかなと思っていたところへ、文部科学大臣の萩生田光一さんによる「身の丈」発言でございます。これもう、ほんと大変なことだと思いますよ。決して民間英語試験が良いとは言わないけれども、ようやく日本の英語教育もこれからどうにかなって、いろいろ試行錯誤しながら前に進めるかなと思うところでこの始末ですからね。

 そこへ来て、文部科学省もPCを1人1台配って教育ログを取りプログラミング教育をしようという話になり、さらに授業に主体的に参加できるようにアクティブラーニングを取り入れようということになる。教師の負担は増える一方なのに、それによって得られる成果はどれだけあるのか、あまり詳しく検証されていないようにも思います。