「僕のこと、書き残してね。僕のこと一番知ってるの、貴だから」高倉健が生前に遺した言葉を胸に、2人の出会い、共に過ごした17年間の思い出、旅立ちの瞬間までを綴った『高倉健、その愛。』が刊行された。数あるエピソードから健さんらしい、でも少し意外な一面が垣間見られる「まるで、泣き虫健ちゃんだな 」をご紹介。
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『鉄道員(ぽっぽや)』のロケから帰ると…
「もーう、寒かった。久しぶりの北海道だっただろ。装備はばっちりだったけど、出てるところがね(と鼻や耳をひっぱるように触りながら)。でも、今回は、地元のおばちゃんたちが、毎日熱々の炊き出しで、世話してくれてね。イモ団子っていうんだったかな? これが美味かったんだよ。他にも、料理がたくさん並べられてたけど、僕はイモ専門。今度作ってみてよ」
『鉄道員』(1999年)の北海道(南富良野町幾寅)ロケから帰宅した高倉の第一声は、地元幾寅婦人会の方々の、手作りじゃがいも餅の美味しい思い出でした。ジャガイモを使うのはわかりましたが、一体どんなものなのか、見当がつきません。ジャガイモの種類を高倉に聞いてもわかるはずもありませんが、お菓子のような甘味が強いものですか? それとも食事で召し上がるような味ですか? と聞いてみましたが、
「甘くもなく、しょっぱくもなく……。とにかく、ジャガイモなんだよ! (中指と親指で○をつくり)このくらいの大きさで、厚みはこのくらい(食パンの八つ切りの厚さ)。作れるでしょう?」
と、サイズだけが伝えられました。
試行錯誤の末、男爵イモを生のまますりおろして片栗粉を少し加え、オリーブオイルで両面を少しキツネ色に焼いてから、甘醬油で味を調える、自己流じゃがいも餅を作りました。高倉は「ちょっと味は違うような気がするけど、これも美味いよ」と食べてくれ、幾寅に少し寄り添えたような気がしました。
『鉄道員』は、私が高倉と出逢ってから、初めて撮影に入った映画でした。