文春オンライン

「みんなが泣くからさぁ……」映画『鉄道員』で高倉健が堪え切れなかった涙の理由

『高倉健、わが愛。』まるで、泣き虫健ちゃんだな ――涙腺ゆるみっぱなしの『鉄道員』

2019/11/23
note

温かな涙、切ない涙、感慨無量の涙……

『鉄道員』で高倉が演じたのは、廃線が決まった北海道のローカル線の終着駅を守る駅長・佐藤乙松。親子2代で“ぽっぽや”一筋に生き、生後2ヵ月の1人娘を亡くした日も、妻に先立たれたその時も、「仕方ないっしょ。ぽっぽやだから……」と、定時安全運行を守り抜きます。孤独にあってもひたすら職務を全うし、気づけば、廃線と定年が目前に迫っていた――。

 この映画で高倉はそれまで見せたことのない涙を流しました。駅長・佐藤乙松として見せた涙、父親としての懺悔を思わせる温かな涙。記者会見やインタビューで東映時代を振り返るときに見せた切ない涙、映画賞授賞式での感慨無量の涙……。

©iStock.com

 衣装合わせで大泉の撮影所を訪れた日から、高倉の涙腺はゆるみっぱなしのようでした。

ADVERTISEMENT

「参ったよ、今日は! 予定よりかなり早く着きそうだったんで、(迎えの車の)運転手さんに言って、撮影所の周りを回ってもらったんだ。見事に様子が変わっててね、自分が通ってたころが、ずいぶん遠い昔になったような気がした。で、門をくぐったら、みんな整列して出迎えてるんだよ。僕はそういうことが一番苦手だってわかってるはずなのに……。

 部屋に入ったら、僕がいたころのまま、神棚までそのまま置いてあってね。僕が東映辞めたあとも、スタッフがとっておいてくれたんだって。たまんなかった。僕のこと、そんな風に思ってくれてたんだって、ちょっとグッときたね。そのあとは、何とか部の誰それですって、懐かしい顔が次々挨拶に来てくれて。みんなが泣くからさぁ……もらい泣き!」

 帰宅後すぐに、自宅の神棚に祓詞を言上していたことが忘れられません。さぁ、走るぞ! という気合の現れでした。

 1999(平成11)年1月からの、北海道南富良野幾寅駅(作中では幌舞駅)での撮影が始まりました。

「幾寅の撮影のあと、札幌で雪子(娘)のお土産に人形を買うシーンの撮影に入ろうとしたら、泊ちゃん(懋、元プロデューサー。当時東映アニメーション社長)がカチンコ持って、立ってるんだよ。もうびっくりして『泊ちゃん! 何でここにいるの?』って聞いたら、『健さんが、東撮(東映東京撮影所)の映画撮るって聞いて、せめてカチンコだけでもいいから、参加させてくれませんかって頼んだんです』って。もう、そういうことされると困るよね。大社長がカチンコ打つためだけに、はるばる来てくれたって聞いて、ほんと参った」