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『鉄道員』製作発表記者会見で

 1998(平成10)年12月18日、帝国ホテルで『鉄道員』製作発表記者会見が開かれました。

「すばらしいスタッフとキャスト、故郷の東映東京撮影所。先日も19年ぶりに衣装合わせに行って、感慨無量になったんで……(長い沈黙)。一生懸命……燃焼しようと思っています」

 と高倉は挨拶。その長い沈黙の意味を尋ねた記者への返事は、「世の中には、一言で説明できないこともあります」でした。

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©iStock.com

 沈黙や涙の訳を訊かれたことへのささやかな抵抗からか、

「記者会見の時、知らない記者から、帽子を取って顔が良く見えるようにして欲しいって言われたけど、僕のことだからね、言われてからよけい目深に被り直したんだけど」

 と、そんな天邪鬼秘話があったことも明かしてくれました。

 そして、撮影中の様子を、雑誌で次のように語っていました。

「胸のなかを、こんなにも激しい感情がよぎったのは初めてでした。役作りのときにいつもなら、ムチ打って感情を引き立たせたものでしたが、今回は逆にブレーキをかけるのに苦労しました。自分の気持ちを押し殺さないと演技にならないというシーンがいくつもあった。人前で笑ったり泣いたりしてはダメだと言われて育った九州の男ですが、演じていて自然に泣けてしまった場面もあります。シナリオで読んでいたときや、テストのときとはがらりと変わって、本番で心のコントロールができなくなってしまった。こうした経験は、これまで『八甲田山』でたった一度あっただけです。(中略)

(主人公・佐藤乙松と同じ世代であることについて)特に意識はしませんでしたけど、同世代の共感みたいなものはあったかもしれません。だから、感情がゆさぶられて、涙が出たんだと思います」(前出「アサヒグラフ」)

「まるで、泣き虫健ちゃんだな……」

 泣き顔が掲載された記事を見ながら、高倉は照れていました。

高倉健、その愛。

小田 貴月

文藝春秋

2019年10月30日 発売