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連載昭和の35大事件

女学生の同性心中からはじまった猟奇の「三原山ブーム」とは――沸き起こる“自殺熱”を盛り上げた報道

女学生の同性心中からはじまった猟奇の「三原山ブーム」とは――沸き起こる“自殺熱”を盛り上げた報道

「貴代子は泳ぐように火口へ消えていった」

2019/11/24

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア

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3時間逆さ吊りから生還した少女

 つづいて第2の奇蹟。

 昭和10年1月27日、日曜の朝10時頃、すでに2人の投身者をだして、火口は人で埋まっていた時、17、8歳の少女がとびこんだ。二百尺下の岩磐にマリのように叩きつけられ、そのはずみで一転、岩磐下の裂目に、頭を下にたれ下った。火口からみると、丁度スベリ台で頭を先に、逆さにすべっているような恰好である。人々が――「みえる、みえる、あんな姿でかわいそうに!」と騒いでいるうち、少女の手が動いた。「生きている」期せず助けよう! という声が上った。

 村の青年が漁業用のロープをとりに馬で元村へとび、元村署から警官2人もかけつけた。しかしこの間に3時間が経過した。火口の人々は声を限りに「助けにゆくから、しっかりするんだぞオ」と叫びつづけていた。やがて村の青年金森千代治君(28)が、消防用の刺子帽をかぶり、ロープを十文字にまきつけ、声援をうけながら下降していった。三百尺のロープはもうあといくらも残っていなかった。金森君が現場につくまで、少女はとびこんだ時の姿勢――逆さ吊りのままだった。少女はやがて金森君の背中にしっかと背負われた。この少女は富山県生れの岸本美津枝(17)といい、東京で女中をしていたが、恋人の病身を悲観、心中にきたもので、相手の青年もとびこんだらしいがはっきりしない。少女は鼻底骨と前額部を岩磐でうちくだかれ、目もあてられぬ重傷だった。

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火口底生地獄から少女救出に成功

島に建てられた「一寸お待ち下さい」の立看板

 こうして御神火にイケニエが備えられる毎に、大島は客で賑わった。旅館がふとり、ツバキ油が売れた。だが、それでよいのか。時まさに非常時、村の中には漸く反省の色もでてきた。島の郵便夫に関口三郎という老人がいたが、自殺防止に老いの一心をもやしたらしい。彼は村から村へ歩く道中、こういう看板を背負っていった。

 国家非常時に際し、あなたの生命は万金に替へ難し、爰に自分は国家の為に(一寸お待ち下さい)御相談に応じます。関口三郎

 やがて火口にも「一寸お待ち下さい」の立看板が建った。山道にも、村にも、三原山病患者は目に見えて減少していったようである。尤も日本が三原山で湧いている時、欧洲はヒットラー内閣が成立して緊張を加えつつあり、やがて日本は国際連盟を脱退した。内に神兵隊事件、満洲国に帝政、ついで二・二六事件の突発――物情騒然たるにおよんで、三原山は完全に青少年から見すてられた。

©iStock.com

 三原山は静かになった。反省するが如く、冥想するが如く、寂として声がなかったが、やがて呑みこんだ不潔物を吐きだすが如く、昭和15年8月19日未明、突如数十丈の白煙を冲天に噴きあげた。三島山自らも人間を寄せつけなかったのである。

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
※掲載された著作について再掲載許諾の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者やその転居先がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部までお申し出ください。

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