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「姉は松本さんと三原山に登ったはずですが、何か……」

「松本貴代子さんと一緒に、きょう(13日月曜日)欠席している学生がおるはずですが一寸お調べねがいたいと思いまして」金子君の急所をついたこの質問に対し、池田教諭はわざわざ出席簿を調べてくれた。いた! 富田昌子(21)である。同居先は渋谷区中通り3-19佐藤方。そのまますっとんで佐藤方を叩き起すと、昌子の妹で、同じ実践高女に学ぶ弘子さん(19)がガタガタ震えながら起きてきた。

「姉は松本さんと三原山に登ったはずですが、何か……」

 これで確証は上った。一刻も早く電話へ、心せく彼ではあったが、玄関先にヘタヘタに坐りこんでベソをかきだした彼女の、姉を思う心を考えると、記者ダマシイばかりでもおられなかった。元村特電を話してきかせ、昌子さんは警察に保護されているから絶対大丈夫夜があけたら姉さんを引取りに行きなさい――と元気をつけると、彼女のベソも漸く消えた。それを見とどけて電話ボックスにとびこんだのだが、全くの市内版ギリギリの追いこみだった。

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 三原山噴火口で 女学生同性心中 実践女学校専門部の二生徒 一名は危く救助

 翌日の朝日の社会面は、写真入りのこの特種で飾られた。――後に世界的話題となった三原山事件はこうして発足したのである。

朝日の第1報記事

 14日になると、貴代子の実兄謙二氏(32)実践高女から池田みよ、須田千恵子両教諭につれられた弘子さんらが元村に着き、昌子さんはその夕刻東京に引きとられていった。元村通信部からは、噴火口における2人の生と死の模様も送られてきた。

2人が約束していた「死の立会」

 貴代子をめぐる親友グループは4、5人いた。その1人、渋谷区幡ケ谷本町1-60松岡福子(21)――紀元節の式から帰宅した貴代子は、父にナゾの一語を残して同女を訪れた。前々から貴代子が――「自分の気にいった歌が一つできたら、いつ死んでもいいわ」と万葉集を讃美したり、突然「これ上げるわ」とつけている素晴らしい半エリをむしりとって、グループの誰かれに贈ったり、昨年10月末学友二十数名と三原山に登ったときの感激を歌に書いては――「三原山の煙をみたら私の位牌と思って下さい」と熱にうかされたような三原山嘆美の言葉をはいたり、考えると気になることが多かった。

 というのも母のいない淋しさがそうさせるのだろうと、福子の母ちかさんは、母代りになって彼女を慰め、この日も――「今度の日曜には切符を買っておくから、2人で新橋演舞場を見にいらっしゃい」と散歩に出てゆく2人に約束した位だった。2人は貴代子の実兄が経営する東片町のかねまん食堂を訪れ、その帰り本郷通りをブラついて神田松住町で別れたが、2人そろって実兄宅を訪れたことは、貴代子にとって、彼女が最後の念願としているものを果したいためだったらしい。

©iStock.com

 貴代子はその足で富田昌子を訪れた。2人の間には、かねて約束ができていた。三原山を自らの墓場としたい貴代子のため、彼女の死の立会人たることを昌子は承諾しており、貴代子の青春を焼いたその白煙が、位牌として立ち昇るのを彼女は見届けることになっていたのである。その夜、2人は霊岸島発、翌12日元村着、すぐ山道をたどった。その山道にはツバキが咲きこぼれていた。頂上に着いた時には陽春のように熱した太陽が光っていた。火口壁は轟々たる鳴動とともに、むせるような白煙を噴きあげていた。その火口壁に立った時、今まで高笑いさえあげていた貴代子の表情が青白く引きつった。