1ページ目から読む
4/4ページ目

問題の本質を掘り下げないメディアへ批判も

「結婚解消問題是非」には著名人も寄稿しているが、その中でプロレタリア作家・細田民樹の「問題はこれからだ」という文章が、全体像を描き出しているように思える。現在と同様、興味本位に騒ぎ立て、問題の本質を掘り下げようとしなかったメディアへの批判にもなっている。

「この結婚を再三懇望したのは、新婦静子さんの父君鳥潟博士だった」「長岡家がいわゆる素封家であり、財産家でもあるから、『娘の幸福のために』そういう家と結婚させることを博士は切に望んだのに違いない」

「新郎長岡浩氏は『将来学位を得んとする下心があり、たとえ自分の言い分があっても、事を荒だてることは恩師に弓を引くことになり、学位獲得の際、非常に不利であると考えた』と言っている。これをもってみても、鳥潟博士が『他にいくつか結婚の話もあった』長岡氏へ、強いて自分の娘に懇望した動機には、先方の人物本位でなかった不純なものが感じられると同時に、一方の長岡氏にも『学位』その他の打算があったことが明らかである」……。

ADVERTISEMENT

「愛のない」因習結婚に一石を投じた“解消問題”だった

 この問題についての世間一般は、やはり鳥潟静子と鳥潟家に対して厳しい見方が多かったといえる。細田も「きのうきょうの各新聞に表れた諸家の意見を見ると、多くの人は、鳥潟静子さんの『夢の深さ』を笑い、いまの男性に童貞を求める処女の『理想の甘さ』をけなしている。しかし、彼女があたかも『天国に結ぶ恋』(同じ年に起きた男女の心中事件)を求めているようにけなしている多くの男性が、実は彼女に劣らないプチ・ブル性をもっていて、男性のことは棚に上げ、結婚には『処女』を求めているのである」と書いている。

©iStock.com

 さらに続く。「たとえ、静子さんのとった当夜の行動に、ヒステリックな、あるいは気質的性格的なものがあるにせよ(私はこの『令嬢』にはそれがかなりあると思うが)、在来の結婚問題に一つの石を投げたのは事実だと思う。たまたま当事者たちの社会的地位が、この問題をジャーナリズムの潮に乗らせたのだが、『愛のない結婚』は、ことに日本ではざらであり、その因習結婚の破綻の一つがああいう形をとったまでのことだ」

【参考文献】
▽橋川文三「日本の百年 7 アジア解放の夢」 筑摩書房 1978年