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2019/11/29

source : 文藝春秋 2015年9月号

genre : ニュース, 政治

まぎれもない侵略行為だった

 歴史の反省・教訓として現在まで議論が続く大きな問題としての東京裁判をどう考えるべきなのだろうか。私自身は「東京裁判史観」というものに与するものではないが、第2次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争と呼ばれるものは複合的で、対米英、対中国、対アジアそれぞれに違った複雑な要素をもち、決して一面的な解釈で理解できるものではない。

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 ただ、無謀な戦争に突入することで、300万人以上の国民が犠牲を強いられたという事実を拭い去ることはできない。昭和15年に時局が厳しさを増す中、企画院を中心に各省庁・陸海軍・民間の若手エリートが集められ、総力戦研究所が設置された。その昭和16年の総力戦の机上演習(シミュレーション)では、長期戦に日本の国力が耐えられず、敗北は避けられないという結論が出されている。にもかかわらず、そのような客観的な研究・分析を無視する形で開戦へと突入し、敗戦という無残な結果となってしまった。国民に対する責任を考えれば、当時の指導者の戦争責任を他者による東京裁判という形ではなく、日本人自らが裁き、自らの責任において決着をつけるべきものであったと思う。

 他方、アジア諸国の国民に対しては、その戦争はある面、侵略戦争でもあった。特に中国に対しては、1915年の「対華21カ条の要求」以降は、侵略的要素が非常に強くなったといえる。日本の中央政府の不拡大方針に反して現地の軍が武力行使を拡大し、張作霖爆殺事件、柳条湖事件などを引き起こした。これらの事件とその後の中国国内への事変の拡大は、中国民族の感情を著しく傷つけたと言わざるを得ない。また、資源獲得のための東南アジア諸国への進出も、当時、西欧諸国による植民地支配に苦しんでいたとはいえ、現地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、まぎれもない侵略行為だったと言わざるを得ない。

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