つまり本書は、大野藩の「黒字請負人奮闘記」なのである。まず七郎右衛門が次々と打ち出すアイディアが既成概念を大きくはずれており実に面白い。各地に大野藩の産出品を売る藩直営店を出すという武士離れした大掛かりなプロジェクトのみならず、細かい支出に対して「それはこうして払おう」という対策の立て方が実に見事だ。もちろん何度も難題にぶち当たるが、その度に知恵と人柄で乗り切っていく。何より、困難に出会うたびに、へこむのではなく、どうやって乗り越えようかとわくわくする七郎右衛門がとてもいい。財政赤字に悩む自治体の担当者にぜひ読んでほしい。
他にもパイオニアの苦労とやり甲斐、経営実務という事務方武士の生活、殿と主人公の熱いバディ関係などなど読みどころは多いが、もうひとつ、本書のキモがある。七郎右衛門が鮮やかに藩を黒字転換させ、出世するにつれていや増す、藩内の彼への反感だ。嫌味や嫌がらせ、誹謗中傷する落書はあとを絶たず、ついには身の危険を感じるほどになる。そこにあるのは、出世した七郎右衛門に対するやっかみだけではない。洋式軍隊への転換、外国の動き、家柄ではなく才能で登用する藩主、藩が商売を手がけるということ──そういう「時代の流れ」への反発なのだ。
武士は武芸をもって主に仕えるもの。そう信じてきた。だが時代の流れが、昔から連綿と積み重ねてきた侍の生き方を否定する。刀の時代ではないという。金勘定をしろという。だったら今までの自分は何だったのか。今までしてきたことに価値はなかったのか。
本書は、変化にどう向き合うかの物語なのである。自分ではどうすることもできない時代の流れ。流れに嬉々として乗る者がいる一方で、どうしても認めたくない者もいる。古いものが否定されるのは、まるで自分が否定されるかのようで辛い。だから頑として受け入れない。変化を起こすものを憎む。何かが変わるときに否応無く起きる軋み。これは決して幕末だけの話でも、武士だけの話でもない。
下巻で、そんな人々に七郎右衛門が言葉をかける場面がある。彼の優しい、けれど強靭なメッセージを多くの人に読んでほしい。現代もまた、変化の中にある。さまざまな軋み音が聞こえる。そんな今の私たちに、七郎右衛門の言葉と行動は強く心に響くはずだ。
歴史小説という新たなジャンル。電子化という初挑戦。本書は著者にとっても大きな変化の一冊である。その一冊が電子化によりこれまでよりさらに広い範囲の読者に届けられることは、実に喜ばしい限りだ。ぜひ手にとっていただきたい。
はたけなかめぐみ/高知県生まれ、名古屋育ち。名古屋造形芸術短 期大学卒。漫画家を経て、二〇〇一年『しゃばけ』で第十三回日本ファンタジーノベル大賞優 秀賞を受賞してデビュー。以来、「しゃばけ」 シリーズは大ベストセラーになり、十六年には 第一回吉川英治文庫賞を受賞した。他に、「まんまこと」シリーズ、「若様組」シリーズ、「明治・妖モダン」シリーズ、「つくもがみ」シリーズ、『ちょちょら』『けさくしゃ』『うずら大名』『まことの華姫』『とっても不幸な幸運』な ど著書多数。
おおやひろこ/1964年、大分県生まれ。書評家・ライター。著書に『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』などがある。