委員長の指示に依り再開した説明を妨害され......
私は当時陸軍省軍務課の政策班長で中佐であり、政府委員の資格が与えられて居らず、説明員であった。説明員は議員の質問に応じて自ら進んで答弁の資格を有せず、国務大臣や政府委員の指示に依り、且つ委員会の同意があって始めて或る限定された事項の説明が出来るだけであった。
だから毎日毎日駄問愚答と悪口雑言が繰り返されて居るのに、政府委員の後に坐して、玉藻前の道春のように、出るに出られず、徒に脾肉の嘆に堪えなかったが、板野議員の誰でもよいから説明して呉れとの要求は私に取っては渡りに舟であったから、好機逸す可らずとして飛び出したのであった。
私は実務を例証しつつ滔々と説いた。従来のような瓢簞鯰的な抽象論ではなく、具体的説明であった為めか、議員もよく傾聴して呉れた。30分近く長広舌を振って、愈々問題の核心に這入ろうとした時、宮脇長吉議員が立って、
「委員長ッ此の説明員に何処まで発言を許すのか」と喰ってかかった。私は、
「誰でもよいから説明して呉れとの要請に応じて説明して居るが、止めろと云うなら止めます」と述べた。
小川郷太郎委員長は説明を継続さすべきや否やを委員会にはかったところ、殆んど全員が継続に一致したので、委員長の指示に依り私は説明を再開した。
すると宮脇氏が更に立ち上って、私の発言を妨害したので、勘忍袋の緒が切れ、
「黙れ長吉ッ」
とドナリツケた。但し場所柄に気が附き、「長吉ッ」だけは辛うじて呑み込んだ。
委員会は混乱し、休憩が宣せられた。
二・二六事件の1周年記念日に「熱海会議」が開かれたというデマ
私は杉山陸軍大臣に叱られ、また塩野司法大臣(其時の委員会出席大臣)に御詑びして、爾後自発的に登院を遠慮した。此の事件の後法案の審議は極めて順調に進み、成立した。だから、総動員法の成立には怪我の功名とも謂われた。
然し其裏面には甚だ奇怪な事件があった。此の事件の直後院内に「熱海会談」と云う次のようなデマが流布された。
「二・二六事件の一週年記念日の2月26日に、陸海軍の少壮将校が熱海で会合して、議会が国家の大事を忘れ、蝸牛角上の内争に耽ける暴状に憤慨し、クーデターをもくろんだ。佐藤も其会談に出席した、黙れ事件は会談の結果に基く計画的行為であった。」
此の事実無根のデマは議会に相当の衝撃を与えたとの事である。
此の謀略の主は政界の黒幕某氏であり、議会側を脅威して、法案の通過は勿論、反政府的政争に水を差さんとしたものであった。其黒幕氏は近衛内閣の熱心な擁護者であった。