反対論が噴出「国民を犬猫同様に扱わんとするもの」
かかる曖昧なる態度は独り総動員法に止まらず、日本の対内対外政策に甚大なる影響を及ぼした事は多言を要しない。
委員会の総動員法案審議は、本会議に於ける政府側の不手際に引き続いて、反対論は議場を圧するものがあった。
反対論の主なるものは本会議以来の違憲論と、本法は国民を犬猫同様に扱わんとするもので、日本人の忠誠心を無視するものだと云ったような類で、水掛論的悪口であったが、政府の不用意な答弁から法の実質に触れる厄介な問題が起った。
政府は、反対気勢を緩和する意味で、本法は支那事変に発動する意志は無く、更に大なる戦争を予想して準備のために制定するのだとの意味の答弁をした。
「法案が通りさえすれば、何時でも発動すりゃいいんだよ」
私は直ちに法制局長官に、
「あんな答弁をしては困る。現在の情勢でも一部の発動は予期されるし、将来大戦争が起らんでも、支那事変だけでも全面発動の必要が起るかも知れぬから、答弁を訂正して貰いたい」とネジ込んだ。
「君、法案が通りさえすれば、必要が起これば何時でも発動すりゃいいんだよ。答弁なんかに拘泥する必要はない。通しさえすればそれでいいんだ」
議会ズレしたゴマカシだが、其の可否は別として、支那事変に使わぬ法律なら今制定する必要がないではないかとの反対論が起るのは当然であり、審議未了にする口実を与えやすい。
更に準備のために今制定しなければならぬと云うなら、準備の規定だけに止め、実施の規定は全部削除せよとの議論が出た。当時の議会内外の反対空気から見て、此の辺で政治的に妥協すると云う事にならぬとは断言出来ないものがあった。
実施規定の削除論は常識論や法理論としては成り立つかも知れぬが、戦時立法の特質としては、実施規定無くして計画が立つものではなく、全然無意味になってしまう。
ところが委員会に出席して居る大臣、政府委員の中には総動員の実務に関して明るい人は居なかったので、此の論争にピタリと止めがさせなかった。
日は忘れたが2月末の或日板野議員が実施規定削除論を強調した後、
「此の法案は若い軍人や官僚達の起案したもので、政府諸公は分っちゃ居ないから、適切な答弁が出来ないのであろう。誰でもよいからに分った人が説明してくれ。」と云った。
之に応じて私はバネ仕掛けの人形のように立ち上った。