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故・中曽根康弘が進めた「民活」は、日本の生きづらさを加速させたのか

2019/12/09
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 瀬島について共同通信社会部『沈黙のファイル』にこんな話がある。シベリア抑留で一緒だった者が、高級将校の瀬島は「収容所で特別待遇され、使役に出る僕らを見送るだけだった」と振り返り、また、その者が戦後、フィクサーのようになった瀬島のもとに大気汚染問題への取り組みのお願いにいくと冷淡にあしらわれた。そして、では一体どんな仕事をこれからするのかと訊ねると、瀬島は「国家のために奉公します」と答えたという。

瀬島龍三 ©文藝春秋

 天下国家を語る者は、他者の生活を顧みないものなのだろうか。冒頭に記した、中曽根と妻のお産の寓話性と同様に、だ。こうしたひとたちによって行われた「戦後政治の総決算」は日本の社会になにをもたらしたのか。

 それを中曽根の死によって、世間は現在の視点から振り返ることになる。

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「政治家は、つねに歴史という法廷の被告席に立たされている」

 中曽根は自著で「政治家は、つねに歴史という法廷の被告席に立たされているのだ」という覚悟でいたと述べている(注2)。中曽根政権のもとで日本は繁栄を享受し、その持続・拡大のために多くの改革を中曽根は施した。

 しかしながら、「歴史という法廷」で今にしてみれば、規制緩和の流れで「派遣法」が生まれたり、労組が弱体化したりするなどで、「一億総中流」と呼ばれる、ひとびとの暮らしぶりは昔日のものとなる。そのきっかけは新自由主義とも言われる中曽根政治にあったろう。むろんバブル崩壊後の始末のつけ方の失敗が大きいにせよ、だ。

中曽根元首相

 ところで政治学者の服部龍二は上掲の『中曽根康弘』の前書きに、「首相退任から三〇年近くを経た現在、情報公開請求などで基礎文献を入手できるようになった」と書いている。中曽根が「歴史の法廷」に立てるのは、公文書のおかげでもあった。安倍晋三は果たして……。

 

(注1)服部龍二『中曽根康弘「大統領的首相」の軌跡』(中公新書)
(注2)中曽根康弘『日本の総理学』(PHP新書)
(注3)牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(講談社)
(注4)共同通信社会部『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫)

故・中曽根康弘が進めた「民活」は、日本の生きづらさを加速させたのか

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