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夫の看取りと、車椅子で生活する長男との2人暮らしで知った「幸せとは、自分の運命を受け容れること」の意味

末盛千枝子インタビュー #2

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 末盛千枝子さんは、NHKのディレクター末盛憲彦さんと結婚、2児の母となるが、夫の突然死のあと、絵本出版を手がけるようになった。

 最初に出版した本のうちの1冊、絵本『あさ One morning』が、1986年にボローニャ国際児童図書展のグランプリを受賞。1988年に株式会社すえもりブックスを立ち上げて独立し、子育てと社長業で多忙な日々を過ごしながら、2人目の夫となる古田暁(ぎょう)さんと再会する。1995年に2人は結婚。2010年には末盛さんと長男の武彦さん、そして古田さんの3人で、現在の住まいである岩手県八幡平(はちまんたい)市へ引っ越したのだった。

末盛千枝子さん

 古田さんを見送り、今は車椅子で生活する武彦さんと2人暮らしのご自宅で、あらためて現在の心境を伺った(全2回の2回目/前編から続く)。

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再婚しないはずだったのに

――もともと古田さんは、末盛さんが慶応大学の学生時代に所属していたカトリックの学生の集まりで指導者をしていた立場であり、メンターともいうべき存在で、古くからの友人だったんですよね。古田さんと再会した頃というと、どんなことが印象に残っていますか?

末盛 末盛(憲彦)が亡くなった時、古田は通夜と葬儀に来てくれて、それから数年後、私が作った本を送った時に「たまには会いたい」と言われて渋谷で会ったんです。別れ際に、古田は駅近くの雑踏のなかで握手した手をしばらく離さなかった。私、本当に驚いたんですけどね。

――それは、どういう風に受け止められましたか。

末盛 だから、いつでもそういう人なのね。どういう意味なんだろうって思わせる、ちょっと悪い男でした(笑)。1992年の夏、原因不明の肺炎で入院している古田から「私が駄目になる前に来て下さい」という葉書が届いて、覚悟を決めて病院へ向かったこともありました。ベランダに咲いていた何種類もの小さな花を摘んで持って行って。

 

――小さな声で「あっ、来た」と病室の古田さんが言ったという、チャーミングなところのある方ですよね。古田さんは、最初に結婚していた方と別れて、その女性は別の人と海外で家庭を持っていた。

末盛 そうです、ずいぶん前にね。古田には息子と娘がいて、彼らとも色々な思い出があります。長男のほうは学生結婚をして、就職活動の時期になると出版関係に関心があるというので、世話になっている印刷会社の社長に紹介したり、長女は難しい時期だしとても美しい少女だったから、話を聞いたり、もめごとが起きたら彼女を迎えに行ったりね。それで、古田にだってちょっと知っておいてもらいたいと思うから、たまには「こういうことがあった」と話すじゃない? そうすると「頼んだわけじゃない」と言うんです。

――あなたが勝手にやったことでしょう、というような。

末盛 そうですね。だけど後から考えてみれば、そんな風に言うしかないほど、父親としては傷ついていたんだと思うんですよね。

――難しい年頃に、末盛さんは母として接していたんですね。

末盛 彼らとも付き合わなければ、古田とは成り立たないなと思っていましたしね。今、彼女は結婚してカリフォルニアで幸せにしているんですけど、後になって、「千枝子さんがいなければ、私はどうなっていたか分からない」と言っていると古田から聞いたので、そんな風に考えてくれているのかと思いました。古田の孫たちが「ちえこばあば」「グランマチエコ」と呼んでくれるのが、今はとても嬉しいですね。

 

――こんなことを言ったらあれですけど……末盛(憲彦)さんと古田さんは、全然違うタイプの男性ですよね。

末盛 本当に違うのよね。というか、比べようもないんです。

――憲彦さんは純情で、古田さんは魅力的で。どちらのほうが好きだった、と思うことはありますか。

末盛 うーん、考えないこともないんですけど、決めがたいというか、答えは出ないですね。