昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2人の息子たちを抱えて最初の夫が突然死 なぜそれでも、「人生」は生きるに値するのか

末盛千枝子インタビュー #1

 編集者の末盛千枝子さんは、上皇后美智子さまの友人の一人として知られる。大らかな人柄と笑顔からは想像できないほど、その半生は困難に満ちたもので、最初の夫を突然死という形で見送り、長男がスポーツによる怪我で、胸から下が動かない障害を持つことになった。

末盛千枝子さん

〈どんな人の人生も、それぞれに、困難があり、喜びがあり、そして深い意味があるのだと、今頃になってやっと実感するようになった。年を重ねるということの有り難さだと思う。

 若い頃には、自分を安全に最後まで連れて行ってくれる道がどこかにあるのではないかと考えていた節がある。これから先の自分の人生に様々な困難が待ち受けているなどとは考えもしなかった、というより、なんとかそういう困難な道を迂回しようと思っていた。今となってはおかしいくらいだ。〉(著書『「私」を受け容れて生きる』)

 そして〈どんなに困難に満ちているように見える人生でも、生きるに値する〉と末盛さんが思うようになったのは、なぜなのだろう。東京から移り住んで間もなく10年になる、岩手県八幡平(はちまんたい)市の別荘のようなご自宅で、末盛さんに「家族」の話を伺った(全2回の1回目/後編へ続く)。

 

「あの家を放ったらかしておく手はない」

――お邪魔します。大きな窓からリビングに差し込む光が、すごくきれいです。

末盛 いい天気で。だいたいお客さんが来られる日は、岩手山が隠れてしまうことが多いんだけど、今日はよく見えますね。

 

――こちらへ引っ越してこられたのは、もう10年近く前なんですよね。

末盛 そうです、2010年の5月。引っ越して1年も経たないうちに、東日本大震災の日を迎えました。

――引っ越しの決め手というのは、何かあったんでしょうか。

末盛 それは、私が細々と経営していた出版社「すえもりブックス」をたたむことになって、代々木のマンションを手放すことになったのが大きかったですね。色々と相談に乗ってくれていた次男が、「母さん、これはもうやめるしかないよ。そしてこの家は手放すしかないんだ」と言って、「じゃあどこに住む?」と考えた時に、父母が亡くなってからほとんど使われていなかった八幡平の松尾の家があると思いついて。弟妹たちに「ここを使ってもいい?」と尋ねたら、賛成してくれました。

――例えば関東近郊で暮らすということは、考えませんでしたか?

末盛 たぶん次男たちはそう思っていたはずなんですけど、ここだったら家賃もいらないし。大体、私と母が好きで選んだ土地でしたからね。そしてあの家が使われていないというのが、なんともかわいそうになって。それと、車椅子で生活している長男のためにも、晩年に脳梗塞で倒れた父が使いやすいように作られた部屋があったから。もちろん不安がないわけではなかったけれど、「あの家を放ったらかしておく手はない」と思って引っ越してきました。父の親友だった画家の松本竣介さんの息子さんが設計した家で、本棚を足したくらいで、ほとんど手を入れずに、今は長男と2人で住んでいます。